こわいと言えば、忘れるというのもこわい。こわいこわい。
これがあるせいで忘れ物をして先生に怒られたり、約束を忘れて人を不快にさせたり、八流アーティストがライブで歌詞を忘れて苦し紛れにオーディエンスにマイクを向けてその場をやり過ごしてやるせない気持ちになったりするのだろう。
最近、ちょっとしたド忘れがよくある。まぁ、ド忘れと呼ぶにはまだまだかわいいものだからト忘れとでも言わせてもらう。
自慢じゃないがボクはとても記憶力が良い。それで周りが驚くことも珍しくない。
といっても歴史の記憶力がすごいやら英単語の語彙力がすごいなどの『勉強』の記憶力とはちがう。
会話の中のちょっとした内容や誕生日、その人の特徴などの記憶力。
どないやねんだが、自慢だ。
これが最近少し調子が悪い。健忘症だろうか、いやそんなはずはない、そんなまさか。ただのト忘れに違いない。一過性のものだ、きっとそうだ。
こんなことはどうでもいい。くだらない。ほんとくだらない。
『忘れる』ということについてちょっとちがう角度から考えてみたら、素晴らしい機能でもあるんじゃないか疑惑が浮上してきた。
辛いことだっていつかは忘れる。完全には忘れられなくても、だいぶ忘れる。
悲しいことだって、いやなことだって、恥ずかしいことだって。
これはただの余談だが、
ドイツ代表ゴールキーパーのオリバー・カーンがいつだったかテレビで言っていた。
『キーパーっていうポジションは残酷なもんさ。悪いプレーをすればみんな覚えているが良いプレーってのはすぐに忘れちまう』
…どうでもいいけど言葉って翻訳次第で良くも悪くもかっこよくもかっこわるくもなりますね。
カーンは『残酷なものです』やら『忘れてしまうものです』みたいに『です・ます』調でしゃべったつもりやとしても、翻訳者によってあんな風に、軽くイキってる風口調になってしまうもんね。
あと、吹き替えも。なんで、明らかに太ってる人の声を吹き替えに抜擢したのでしょう。
ボブ・サップの吹き替えもひどかった。
まぁ確かにボブ・サップっぽい、でも明らかにちがう声で吹き替えをしてたのだが、ボブ・サップの笑い声まで吹き替えするわけですよ。『フハハハ』って。ひっくい声で。
『吹き替えって言うより、モノマネやん…』と少し切なく、胸がキュンとなった。
時に嘆いて、時に感謝して、『忘れる』と上手に付き合っていこうと思う。