先のブログに書いた1985年といえばこんな素晴らしいライブアルバムにも巡りあった年だったな

死後20年以上経過して突然出されたライブアルバム。
それまでに手に入れることができた彼の音源はスタジオ録音や上品なナイトクラブでのライブ録音で、その見事ではあるけど上品な歌唱があのグレートシャウター、オーティス・レディングが影響を受けたシンガーとはとても思えなかった。
とはいえ、彼のペンになる楽曲達はどれも名曲で特に『Bring It On Home To Me』は俺の全音楽の中でのNo.1ソングだった。
それが1985年の夏に出た1962年に行われた黒人のオーディエンスのみが集まるクラブでのライブでその印象が180度変わってしまった。
同じ人が歌う同じ曲でありながらこの違い
これはたまげたし、震えたし、友人はヨダレまで垂らした。
こんなスゲェライブやる人だったんだ…
翌日、大興奮で学校へ持っていって相棒Nに聴かせた『このアルバム聴いて興奮しないようじゃ俺とバンドやる資格ないぜ』というジョークも添えて。
するとNはお返しに一本のカセットテープを渡してきた生意気にも『このテープに感動するようなら一緒にバンドやってやってもいいぜ』というジョークとともに

1985年に出会った二大宝物となるレコードでした

死後20年以上経過して突然出されたライブアルバム。
それまでに手に入れることができた彼の音源はスタジオ録音や上品なナイトクラブでのライブ録音で、その見事ではあるけど上品な歌唱があのグレートシャウター、オーティス・レディングが影響を受けたシンガーとはとても思えなかった。
とはいえ、彼のペンになる楽曲達はどれも名曲で特に『Bring It On Home To Me』は俺の全音楽の中でのNo.1ソングだった。
それが1985年の夏に出た1962年に行われた黒人のオーディエンスのみが集まるクラブでのライブでその印象が180度変わってしまった。
同じ人が歌う同じ曲でありながらこの違い
これはたまげたし、震えたし、友人はヨダレまで垂らした。
こんなスゲェライブやる人だったんだ…
翌日、大興奮で学校へ持っていって相棒Nに聴かせた『このアルバム聴いて興奮しないようじゃ俺とバンドやる資格ないぜ』というジョークも添えて。
するとNはお返しに一本のカセットテープを渡してきた生意気にも『このテープに感動するようなら一緒にバンドやってやってもいいぜ』というジョークとともに

1985年に出会った二大宝物となるレコードでした