今日ニュースで知ったけど、福生で暴走族同士が60人規模で乱闘してたらしい。
俺、この近所に住んでるのに全然知らなかった。

 

金属バットや鉄パイプを持って集まったって聞くと物騒だけど、幸い大けが人は出なかったみたいだ。

ここで思ったんだよな。


昔だったら救急車が何台も来て、血だらけ、骨折、入院…みたいな話になってた気がする。昭和とか平成初期の喧嘩って、本当に命がけだった印象ある。

 

でも今回は大惨事にはなってない。
これって「令和の喧嘩」ってことなのか? 形だけ荒れて、どこか一線は越えない。SNSで煽って、集まって、でも本気で潰し合うわけじゃない。

 

もちろん危ないことに変わりはない。でも、時代が変わって、喧嘩の質も変わってるのかもしれない。

それにしても、そんなことがすぐ近所で起きてたと思うと少しゾッとする。

 

ブレイキングダウンに出てくるようなホンマモンの喧嘩好きもどこかにいたら怖いし…


俺の街は静かだと思ってたけど、ニュースにならないだけで、色んなことが起きてるのかもな。

 

やばい連中見かけたら距離置いた方がいいのは事実だ。

今日、Xが世界的に繋がらなくなったらしい。


タイムラインが更新されない。通知も来ない。「あれ?」って何回もアプリ開き直すあの感じ。

 

正直さ、SNSなんて暇つぶしって思ってるけど、止まると妙に落ち着かない。ニュースも、トレンドも、人の反応も全部そこに集まってるから、急に情報が遮断された感じになる。

 

でも冷静に考えると怖くないか?
一つのサービスが止まっただけで、こんなにザワつくって。

 

昔はテレビと新聞だった。今はXが速報。便利だけど、依存もしてる。もし災害時に止まったら? もし意図的に遮断されたら?

今回の障害はただの技術トラブルかもしれない。でも俺たちの生活がどれだけネット前提になってるか、改めて見せつけられた気がする。

 

たまには強制ログアウトも悪くない。
でもやっぱり、気になってまた開いちゃうんだよな。

 

デジタルデトックス。こりゃだめだ。かみさんはいつもダイエットしなきゃの繰り返し。できないものはできなんだ…

今日は青梅マラソン。

 

東京都下ではかなり有名な大会で、毎年この時期になると「ああ、走る人すごいな」って思う。


青梅マラソンはフルじゃなくて30km。でもこの“30km”が絶妙にキツい。

 

俺もそこそこ走れる。10kmなら全然いけるし、ハーフも気合入れれば何とかなる。でも30kmって別物だよな。後半の脚の重さ、メンタルの削られ方、想像しただけでしんどい。正直、歩き含めれば完走はできると思う。でも「走り切る」となると話は違う。

若い頃は勢いで何とかなる。

 

でもおっさんになると、無理すると後が長い。膝、腰、回復力…全部リアルに考えるようになる。

それでも、街をあげて応援してるあの空気は好きだ。走らなくても、ちょっと刺激をもらえる。

 

いつか本気でエントリーするか?
いや…まずはもう少し脚を作ってからだな。

 

なんてね。多分やらんけど…今年56歳。

 

 

最近ニュースで見た“防災カレー”。

 

 

小学生が食品会社と一緒にレトルトカレーを開発したらしい。防災って聞くと、どうしても乾パンとか我慢の非常食ってイメージだけど、「おいしく食べられる防災」って発想は正直アリだと思った。

 

俺も一応ちゃんと備蓄してる。サバイバルパン、α米、乾パン。けっこう揃えてる。でも現実はどうかっていうと、ほとんど賞味期限前に入れ替えで食べてる(笑)。「もったいないから食べるか」ってなる。非常時まで残らない。

 

でもそれでいい気もしてる。定期的に食べて味を知っておくのは大事だし、食べ慣れてないと非常時にキツい。正直、乾パンは水ないとキツい。うまいんだけど…

 

防災カレーみたいに“普通にうまい”ものが備蓄できるなら理想だよな。防災=我慢じゃなくて、防災=日常の延長。そういう時代になってきてるのかもしれない。

 

備えてるつもりでも完璧じゃない。だからこそ、こういうニュースを見るとちょっと見直そうかなって思う。

今日は正直、かなりこたえました。
しつこく大きな声で「小学生の算数と国語もわからんか!」と何度も言われる。55歳になって、こんな侮辱を受けるとは思いませんでした。

 

頭では分かっています。感情的に言っているだけだと。でも言葉は刃物ですね。あとからじわじわ効いてきます。

 

そんな中で目にしたのが、侮辱罪に関するニュース。ネット上の誹謗中傷対策として強化された法律について「一定の効果がある」という専門家の見解が出たそうです。つまり、社会としても“侮辱”は軽く扱えない問題になっているということ。

 

昔は「そんなの気にするな」で済まされたかもしれません。でも時代は変わっています。

言われた側は忘れません。


言った側は忘れても。

 

今日の出来事は悔しい。でも、少なくとも私は人に同じ言い方はしないと決めました。


疲れたけれど、これも一つの社会の縮図なのかもしれません。