こんばんは。
あゆーらです
お久しぶりこですm(__)m
本当は前回のブログの続きを書く予定だったけど変更します!
いやね、それもこれも、
迷いに迷い迷走しすぎて、さてはて元は何だったかの~?( ̄。 ̄)っとなっている昨今。
また追い討ちをかけるような忙しき日々に、それを考える暇もなく。
ふと、考える時間ができれば思いだす今日・・・
「時間ニ限リ、アリマ~ス」
ハッΣ(゚Д゚)
私、大事な事を忘れてた事に気付きました。
そう、私という一人の人間に与えられた時間は無限ではないという、当たり前のこと。
分かっていたつもりで分かっていなかったのかもしれません(-_-;)
織田信長が好んだものにこんなのありましたね。
「人間五十年」
これは以下のように続くのですが。
人間五十年
下天のうちを比ぶれば
夢幻の如くなり
一度生を受け
滅せぬもののあるべきか
「人間の一生は所詮50年に過ぎない。天上世界の時間の流れに比べたら儚い夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものだ」
又、これも好んでますねぇ。
死のうは一定
しのび草はなにをしよぞ
一定かたりをこすのよ
「人は必ず死ぬ。生きているうちに何をしようか。それが自分の生きた証になるのだから」
え?織田信長マニアかって?(-.-)З/
まぁ、否定はしないです(笑)
さて、本題からずれてしまったので戻しますと。
人生一度きり、その時間は限られている
ということ。
儚いとはいえ、一年は365日もあり、日々同じ事の繰り返しの現代人。
時間は限られている事をつい、忘れてしまいますよね(´・c_・`)
そ・れ・で・だ!
私は限られた時間を本当に私の望む事に使えていない。
それは自覚している。
が、しかし、簡単に動けないのも事実。
そして、それは言い訳に過ぎない事もよく分かっている。
あとは自分の決断次第。
そうなのよ。そう!
あとは私の決断次第!
それを邪魔する私の言い訳。
人ってね、生活レベルを下げれない生き物じゃない?
昔はそんな生活してたのに、知ってしまえば手にした物を手離せなくなるもの。
まぁそれを依存というのかしらね。
だけど、いつまでも言い訳してていいの?
私の望む事を得る時間はどんどん消費されているのに、いつまでも時間を無駄にしてていいの?
と、思うわけですよ。
本能寺ホテルって映画の織田信長のセリフに、こんなのがあります。
「自分のやりたいことに大きいも小さいもない。やりたいのかやりたくないのか、やるのかやらないのか。ただそれだけの事。」
本当にそう。
やる為の方法ならいくらでもある。
でもやらない理由を探して言い訳をしてしまう。
それは今の環境に多少の不満はあっても、それが心地よいから。
結局は不安なんですよね。未知との遭遇って。
さて、じゃあ私はどうしようか?
時間は限られているのよ。
それに気づいたのなら、動かないわけにはいかないでしょ?
やりたいか、やりたくないか
やるか、やらないか
全ては選択一つ。
私は、織田信長的生き方をやっぱり選んでしまうのだと思います。
だって、私という人生はもう二度とやってはこないんですもの。
少し話が逸れるけど、私が少々やっている占い。
『占』の字は、自分の思い通りにする、という意味なんです。
未来をよりいっそう望みに近づけるためのもの、それが占いなんです。
そして私は割りと自分の思うように生きてきたとは思います。
そんな人生を振り返った時、やはり織田信長的生き方なんだなと。
やるか、やらないか。
やらない後悔より、やって後悔した方がいいと、私は思うのです。
ならば、やはり、やるしかない。
私は、今、ここから、
人間五十年!