昔、津田大介さんが『動員の革命』(中公新書ラクレ 2012/4)という本を出し、2015年から16年にかけての「SEALDs旋風」的なネットと左翼活動の融合みたいなものが話題になり、また、期待が高まりました。

 もちろん、その結果としてはご覧の通りなのですが、さらに時は下り2022年となって、アメリカではBREXITやトランプ大統領選挙も経由したケンブリッジ・アナリティカ社のような「ネットを使う層と政治・政策」、そして「Qanon」「Q」を通じたシャドーステート的陰謀論が文字通り大統領という権力中枢を巻き込んだ一大事件となったことで、ネット社会が政治活動をエンハンスするというよりは、もはやミーム戦としてそれありきで社会とネットを切り離さずに現象(活動やデモ、得票傾向など)を見るという方向に変わってきたなあというのはあります。

 その結果として、実際にネットで動く世論というのはただでさえ少ない政治に関心のある層の、さらに特定の党派性を持った人たちのクラスターの中で話題になることが取り上げられるのであって、そこにハッシュタグ運動とかハッシュタグデモのような呼びかけがさしたる結実に至らない例なんかも見えてきたんじゃないかと思います。

 端的な話、深夜にハッシュタグを仕込み、言及数が上位にあればTwitterの仕組み上トレンドに載り、みんなトレンドのランキングで興味のあるものをタップするので「トレンドに載ればさらに読み手が増える」現象があります。これを利用して、津田大介さんのいう「動員の革命だ」という向きは強くありましたし、いまでもそれをやっている左翼活動家や、共産党、れいわ新選組支持者が頑張っている光景を目にします。

 一方で、実際にそこで起きていることは壮大なフィルターバブルであって、先日も日曜討論でれいわ新選組の大石あきこさんが自民党の政調会長・高市早苗さんとの論戦の中で消費税を財源とする政策の話となり、従前の政府説明通り消費税は増大する社会保障費に充当されるという説明を高市さんがしたところ、なぜか直間比率是正前と後の法人税税収を見比べて「法人税はこれだけ下がったのに、消費税の税収は増えている。高市早苗の言っていることは嘘だ」と反論するに至ったわけです。

「〈 #平気で嘘をつく高市早苗〉がトレンド入り!」の怪【山本一郎】
https://web-willmagazine.com/politics/BH6fe

 もちろん、高市早苗さんの言っていることは嘘どころか、正論だというより租税議論における大前提の話なのですが、共産党もれいわ新選組も消費税に対して反対だという立場を政治的に言い続けているため、消費税減税、あるいは廃止のための論陣を張らなければ支持者が離れてしまうので、無理筋のことでも言い続けなければならないというジレンマを抱えています。

 じゃあ消費税を辞めて法人税と所得税という直接税中心の税制に戻すんですかって話で、これからさらに社会保障費がかかるところで安定財源どうするんですかってのは、自然エネルギー万歳で原発や火力に反対をし続けベースロード電源を軽視した発想とかなり似ています。



 そういう人たちが集まる場所としてネットが活用されるのはある意味で当然のことで、民族主義的な右翼の人も共産れいわで頑張ってる左翼の人もみんなだいたいTwitterやInstagram、TikTok、youtube、Facebookあたりに生息しているんですが、これらはだいたいクラスターを形成していて、お互いがお互いの不愉快な主張を目に入れないように、なるだけ交わらないようにして生きています。

 したがって、そういう人たちはクラスターを形成しても同じ話題を共有しないようにしているわけなんですけれども、その結果として、政治の話題は特に「フィルターバブル」が形成されています。要するに、自分が読みたい話題しか目に入らないタイムラインを作ったり、フレンドの構成をすることで、党派ごとにイデオロギー別のクラスターを形成することで居心地よくしておるわけですな。

 もちろん、ネットのマーケティング上は不愉快な言説やニュース、人物について話題に触れさせればそれは不快感のある体験を感じさせるわけですから、ビジネスであり、サービスとして不愉快な話は見せない方向に行くのも当然のことです。しかしながら、そうであるがゆえに、自分たちにとって心地の良い話だけが流れてくるネットの中にいるとどうなるかといえば、あたかも世界全体が、自分の意見と同じで自分は多数派なのだ、自分の考えは世間に受け入れられているのだと勘違いすることになります。

 実際には、例えば民族右翼も極左も国民からすればマイノリティであり、日本は民主主義だから誰かの権利を棄損しない限りそういう言説をネット上で繰り広げることそのものは問題ないわけです。また、一部のredditやはてなブックマークもネット上の言論という意味では限界集落となり、一般の人は足を踏み入れることのない秘境となって、そこの狭い世界であれこれネット老人が暮らしています。それはそれで価値があることなんだけど、サービスに新しい人が来なくなれば利用者と一緒に歳を取っていくモードとなって、いずれ老舗は惜しまれながら潰れていくことになります。

 現実社会は動いておりますので、いままで旧来型の人たちの集合だったというところもどんどん新しい世界とつながり、政策を実現したり、価値を創出したりしながら生き残りを図っていくのが本来の人間社会や組織の姿なのだろうと思います。

連合が自民に近付いて行っているのではなく変わったのは向こうの方 @gendai_biz https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96490

 そして、冒頭のハッシュタグによる、ネット社会での動員の模様というのは、いま非常に研究が進んできている分野であって、端的に言えば「ほぼネットにいる全員がどんな政治的な主張をし、いかなるクラスターに生息する個人なのか、かなり解像度高く予想がつくようになったというのが現状です。つまり、日常的にSNSでモノを書いている人が仮に少数でも、それに対して影響を受けている人たちのクラスタの大きさがどのくらいで、どんな趣味を持ち、どのくらいの人間関係を形成していそうか、その人たちが政治分野においてどの政策に反応するかということが、それなりに見えるようになってきてはいるのです。

 それはすなわち、特定の政策において、それはどの党派に受け入れられて、どの党派から強い反発を受け、反発されるとしたらどのようなテーマや視点から否定されるのかということが何となく見えるようになってきたということでもあります。なので、この政策はきっとこのぐらいの人たちが文句を言ってくるだろうという予測がある程度精度として高くなってくると、野党ヒヤリングで一度揉めるかもしれないがそれ以降は塩対応で構わないという道筋もつけやすくなる、ということです。

 とりわけ、昨今はロシアによるウクライナ侵略問題もそうでしたが、原発の話や円高・物価高、賃上げ、猛暑といった各種話題がど真ん中になってネット上で議論されるようになりました。かつては、キーワード別に、発出しているユーザーの「機嫌」を調べて対策に生かそう的な牧歌的な手法も一般的でしたが、さすがに時代が下ってくると、マスコミがそれを書いたからどうだという話じゃなくて、その記事はどのクラスタが反応して、何日間話題となり、どういった層に影響したようであるかぐらいまではなんとなくわかるようになってきました。

 人間はネジではないので、本当に全部わかったら大変なことなのですが、あくまで傾向として、また事後にできたグラフのボリュームなども見ながら、おそらくこの話題の重要度は社会的にこのぐらいで、どこのクラスターにどういう賛否の態度を得て、その話題の賞味期限はどのくらいなので、いかなる対処をするべきなのか、というところまで分かるんじゃないか、それはデジタル全盛を迎えた現代社会が民主主義を担っていくうえで必要なお作法なんじゃないのか、ということなんですよね。

 極端に言えば、今回れいわ支持者が朝から頑張って拡散して、トレンドに入ったと騒いでいた #水道橋博士 や #やはた愛 も、確かに支持者からすれば大事な候補者として盛り上げていきたいという意図は良く分かります。他方で、一時間当たりのツイート数が2万弱というのは、政治ジャンル全体の言及数からすると1.0%にも満たないレベルの低調なものです。それでも、言及されるというのは良いことだとなるわけですが、それを言及しているのがれいわ支持者のクラスターだけであった場合、要するに自分たちの支持する政党の候補者を自分たちが言及したのでトレンド入りしましたという話で終わってしまうので、むしろ、そういう泡沫政党がネット戦略をやる場合は、津田大介さんが当初思い描いていたような幸せな性善説ぜ善意のSNSではなく、納得づくで、割り切って、仕込みをし、計算を立ててやるものになっていくのだろうと思います。

 いわば、分断される社会において、クラスターを超えて多くの人たちの共感を得たり、シンパシーを得ようとするならば、むしろそういう党派性に彩られた政治の世界の住民ではなく、普通の生活者で、政治に関心のない人たちこそが、接着剤となり呼びかける対象となるものなのだという風に常に考えていかなければならないのでしょう。

 民主主義の政治というのは、関心を持っているから偉いとか、主義主張を理解していないと有権者であるべきではないとか、間違っても言ってはいけないんだなあというのは計量すればするほど感じるところなんですね、実際に。