「書かないの」って催促されたので書くわけではなく、なんかこう、考えがまとまらないので億劫になっていただけなんですけど、JR東海の総帥にして、旧民主党政権から自民党第二次安倍晋三政権成立の立役者でもあった葛西敬之さんが亡くなられました。

 葛西さんとのおつきあいは私はそこそこ古く、某郵政選挙の際に選挙調査界隈ではまだ駆け出しだった私や奥村健満氏(故人)らをこき使い起用し、与野党を跨いだ選挙・政策方面のコミュニティの中心にずっと君臨しておられました。あのころは私も必死でしたし、このままでは世の中が良くならないという不思議な使命感で葛西さんが若い世代の起用をと延々言い続けていまに至るという点では先見の明がおありだったんだなあと思うところが大であります。

 いいことも嫌なこともたくさんありましたが、率直に言えば、ボスそれ違いますと言いづらい人の筆頭でありまして、下と思った人から意見を否定されると烈火のごとく怒り、ご自身の意見が通りづらいといろんな「画策」をしてでも強硬策を取ろうとする一方、人情味もあり、追い落として大変なことになっている人が水に落ちておぼれているのを見て御大が「可哀想だな」といい、私は何度心の中で「あんたがやったんやがな」と思ったか分かりません。

 ただ、本当に私どもが人間葛西敬之を見たのは本当に最晩年であり、いまから官邸にいって安倍に言うからお前らは朗報を待っていろと言って二週間待っても朗報は来ずいつの間にか話が無くなっていたことは、最盛期を知る葛西さんの旧友は神通力というのは通じるから見えるんだと評したのも懐かしく思います。

 そして、いろんな北海道労組であれ自民党中枢であれ修羅場をどうにかしてきたのが葛西さんであり、コロナの事態となってなお「東海道新幹線の本数は落とさせない」と突然仰り、そうですかと言っている間にガラガラの車両が往復して巨万の赤字を垂れ流した後で呼び出され「お前らの言っていることは間違っていた。やっぱり赤字じゃないか」と言われたときは心が無になりました。そういう冗談を言えるのも葛西敬之というものすごい屹立した、確固とした人間性によるものだと思っています。

 彼が某誌を立ち上げたのも、また政治に最後まで関わろうとしたのも、まあJR東海会長というドル箱路線を持つ鉄道会社の偉い人だからかもしれないけど本音では「日本はこのままではいけない」「自分の目の黒いうちは『衰退日本』とは言わせない」というものすごい自負があったからなのはよく知っています。組織で偉くなるには左翼の文脈を、偉くなった後は天下国家の見通しを語れなければ駄目なんだよと仰っていて、結構本音のところで日本をどうにかしなければという思いを強く持たれ、また、コロナで景気も雰囲気も沈んだ日本経済を最後まで心から憂いていた財界人のひとりが葛西敬之さんだったと思います。

 いつぞや某誌に私が記事を寄せたとき、俺の知らない間に勝手に記事を書きやがってとクソ忙しいさなかに直電を賜ったのも幸せな思い出です。ああ、読んでくださっていたのか、と。

 それでも、是々非々で記事を書きますよと言い、別の経済媒体に何本か某リニアとか某静岡県とかの件で葛西さんにとってあまりうれしくない記事を執筆して、ゲラを葛西さんにお送りしました。そのときは、烈火のごとく怒っていたけれど、誠に恐れ入りますでもこれは本音であり本気で私どもが調べて考えたことですというと、そうであるならば仕方がないと折れて、ほとんど赤を入れることなくゴーを出してくださったのは人間として相対したときの葛西さんの凄みでもあったわけですよ。

 どちらにせよ、勉強させていただきました。こんにち、私だけでなく、いまの日本経済がここにあるのもまた、葛西さんが社会の、経済の、日本政治の中枢でギリギリのところで頑張ってこられたからこそだとも認識しております。「本当にありがとうございました」と申すと「お前ら若い世代は俺に感謝するのではなく世間のために汗を流せ」と言われること確定ではございますが、若いと言いつつも私も半年後には50歳であり、結局「世に出ようとしないお前は宝の持ち腐れだ」と叱られることもマストと思っております。

 葛西さんのお考えからして、あんまり悼むことはご本人もそう望んではいないのかもしれませんが、亡くなってしまった以上は残された世代として葛西さんの考えていた日本のグランドデザインも視野に入れつつ頑張ってまいります。

 長らくお疲れ様でございました。いずれ近いうちにお目にかかるタイミングで、お時間の許す限りお前何してんだよのお叱りも拝聴できればと存じます。
 神の身許に召された葛西さんの魂に限りない平穏があらんことを、心よりお祈り申し上げます。