フェミニストが立憲民主党のホープ・小川淳也さん(香川1区)の背中に全弾命中させているツイートがあるというので見物に行きました。こちらです。






 こんなの出馬した小川さんが夫なのだから、応援している肉親関係の表現として「妻です」「娘です」ってのは何も問題ないと思いますし、奥さんが出馬したら小川淳也さんが「夫です」とタスキをかけるだけの話でしょうから、フェミはどこに誤爆してんだと思うわけですよ。

 そんなわけで、今回も「みんなの介護」と「WiLL」で、2021衆院選における社会保障とエネルギー政策の論点について論じました。基礎年金切り下げの論戦がスタートしている話も、冬に向けてエネルギー調達をどうするのかという話も重要な内容なのですが、残念なことにいまの各党政策論争においてむしろテーマの真ん中に「分配」が来てしまい、国民が重視する政策の論点からするとややズレているのは残念なことです。

来るべき日が来た!!次期年金制度改正の議論で私たちの受給額はどうなる!?|やまもといちろうゼミ|みんなの介護
https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/lesson51/
立民・共産党のエネルギー政策は亡国へと至る道【山本一郎】
https://web-willmagazine.com/energy-environment/NrWT3

 とりわけ、分配論の中で岸田文雄政権が総裁選で「金融課税をします」といって、公約を作る政調会長の高市早苗さんも同調の構えを見せながらも批判殺到でしめやかに取り下げたり、同じく総裁選で「所得倍増だ」と景気よく言ったのに後から「所得倍増とは所得が2倍になるわけではない」というトンチのような問答で有耶無耶になったりしていました。出したり引っ込めたりするのは公約ではないし、みんなが喜びそうなことを安易に言った後でひっそり取り下げるのは不信感を増すだけだからやめたほうがいいと思うんですよ。

山際大臣「所得倍増は所得が2倍になる意味でない」
https://news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000231964.html

 その点では、野党サイドも無責任にバラマキ政策を主張すると必ず「財源は?」というツッコミを貰うわけですけれども相変わらず大企業や富豪への課税強化だという話を持ってきます。




 もちろん1億円を超えたところで個人の所得税の税率がむしろ逓減してしまうという「1億円の壁」はあるけれども、他方で2000年代以降格差の状態を示すジニ係数は微減に転じ、大企業も富裕層も日本国内で再投資をし雇用を増やしている結果、とりあえず我が国は実質的な失業率がとても低く抑えられているという点は無視してはならないと思うわけですよ。最低賃金の問題にしても、これ単体で取り扱わずに日本の労働行政・労働法制全体の問題として各政党が具体的な政策論に踏み込んで議論して欲しいと思わないでもありません。

 さらには、政治学者を名乗る猫bot氏が、まさに教科書に載せてもいいような基本的な保守主義(保守ではない)とリベラルの論争の題材を投げかけていました。




 国(社会)に頼らず自力で頑張ろうというのは1859年発行のサミュエル・スマイルズ著『自助論』でもあるようなセルフヘルプと社会的に自立する個人という、ある種のファンタジーなんだけど社会や経済の活力の源泉でありイノベーションの根幹の話で、私も含め保守主義者的には「まあそうだよね」と感じるものです。

 他方、猫bot氏が言うような「これこそ弱者切り捨て論だ」というリベラルど真ん中の主張も賛成はしないものの理解はできるわけで、おそらくはこの辺が保守主義かリベラルかの分かれ目なんだろうと思います。実際、人間生きていると病気や失業などで本当にどうにもならないイベントが発生することは事実であるし、老齢に達して新しい何かに取り組みようもない境遇の人たちやまだ自力で立つことのできない赤ちゃんや子どもや若者をどう遇するのか、失業者は、身障者や傷病者は、などなど、同じ日本社会で暮らす日本人としてどこまで辛い境遇の人たちを支え、どこから自立を促し社会に富を生み出せる能力を発揮してもらうかはバランスの問題です。

 おそらくは、そういう「お前らしっかりしろ。働け。税金を払え」という活力のある社会と、「貧しいね。働きたくても働けないね。家族がいなければ社会が面倒を看て上げないとね」という暖かみのある社会とが、我々の暮らしやすいように、希望が見えるように、頑張れるようにどうバランスよく混ざっているべきかという議論じゃないかって感じるわけですよ。

 ここで「全員が奮い立て! 弱者は甘えるな! 頑張りが足りない!」とだけ言ってしまえば社会は断ち行かないし、他方「大変だね。寝ていて大丈夫だよ。無理しないでね」と言い続けるだけでは社会は競争力を失って貧しくなるのですから、どっちをバランス的にやや優先するかという論考が必要なんですよね。

 でもなぜか、党派性がキツくなりすぎるとどうしても一方が一方を批判し続けることになり、歩み寄れば全体の利益が大きくなると分かっていても党派性ゆえに相手を受け入れられないという問題を起こしてしまいます。

 そして、政策が無責任になるのは、往々にして福祉は大事だ、社会は貧しい人をどうにかしろというのは「大きな政府」であり高福祉を実現するためには消費税でも所得税でも法人税でも税制をしっかりデザインして引き上げられるものは引き上げて高負担を実現しろと言わなければなりません。

 ところが、消費税は上げたくない、大企業がカネもってるだろうからそっちから取れ、政府はカネを隠しているのだから国債を発行してどんどん札束を刷れというのは、結果的に一番貧しい人の財布からおカネを抜き取る行為になってしまいます。大企業はいま以上に海外に行くし、有力な研究者も日本を出てしまう怖れが強くなり、日本に残るのは口をあけて給付を待っている稼げない弱者ばかりになる可能性があります。

 それでも、貧しい人の中から立派で高潔な人物が出て、指導してくれるという救世主思想が出たりすることがあり、もうちょっとどうにかならんのかなと思います。

 与党は与党で述べた通り総裁選で「おっ、岸田文雄さんまあまあ良いこと言ってるじゃないか」という話があっても、今回の解散総選挙で岸田さんが主張した公約は文字通りひとつも採用されず、高市早苗さんが編み込んだ政策が公約になって自民党は戦っています。高市早苗さんが悪いというわけではありませんが、たかが一か月前にあれだけ議論していた政策や実現すると言っていた公約は何だったのかという点で自民党も大変に無責任です。

 野党共闘で一本化されたことで苦戦している小選挙区が多いという話も、これら自民党に対する政権批判票の受け皿がまとまれば、国民・有権者支持の概ね40%が支持する自民党でも勝てない地域は続出するのだという当たり前の現象が起きているにすぎません。将来を嘱望された2回生、3回生も、王国を築いてきた重鎮も比例復活できないほどの敗北を喫してしまう怖れが出ても当然と言えます。

 どれもこれも、選挙の前だけ、公示後の選挙戦の間だけ政策議論するものではなく、常日頃から、我が国の社会保障や安全保障、経済政策といったテーマで議論の積み上げをしておく必要があるのであって、そこが抜け落ちているとどうにもならないのだと改めて感じさせる選挙戦だなあと思うわけであります。

 皆さん、どうかご安全に。