結論から言うと、リアルだろうがフィクションだろうが、思い入れがあろうが自殺や自死を扱う記事は、よほどの公益性がなければメディアは掲載したがらない。

 Cakesの現場編集部も執行役員(?)もアレな対応かもしれないけど、あさのますみ(浅野真澄)氏が一方的に暴露するのもどうなんだという感覚を持ちます。

 その点では、私も副業としての商業書き手なので、いろんな編集部とのお付き合いをしていく中で、ご評価を戴き生き残って連載をさせていただいたり寄稿依頼を頂戴したりしている以上、そりゃまあいろんなことがありました。

 不合理なことを言われて腹を立てることもありますし、せっかく入れた原稿がボツになって他の媒体に改めて持ち込んだりする。

 その中で言えば、あさのますみ氏がnoteに書いているここで回答は出ています。
 現場の編集者は、自殺・自死の連載を安請け合いしたという問題はありますが、Cakesという媒体として、自殺に関する記事は掲載できないと判断したことは妥当です。

 リアルだろうが、公益性のない自殺記事を掲載したら、「おんどれの媒体は人様の死の記事に広告つけて銭儲けしとるんかボケ」という反応が出ます。いったん連載をしましょうと言ってしまったので、現場では頭を抱えたんじゃないかと思いますね。

cakes炎上と、消滅した連載|あさのますみ @masumi_asano #note https://note.com/masumi_asano/n/n5f3f3ad8ad5e

 で、こういう書き方をすると、Cakes編集部や企業側の倫理が問題視され、同情が集まるのも仕方がないと言えます。

 しかし、実際には「こんなものは安易に載せられない」という判断のほうが、圧倒的にまっとうな可能性もあるので、Cakes編集部側がどういう判断にいたったかの事実関係も含めて、両側の意見を聞かなければ判断できないタイプの案件だと思います。

 ここまで書いたところで、同じくライターの安田峰俊さん(パンダハガー市長)が言いたいことを全部書いてしまっていることに気づいたのでツイートを引用しますけれども。



 友人の死を遺品なども踏まえてリアルに描くことをしたければ、自身でサイトを立てて掲載したり、このブログのように個人の発表にしたり、ギャラを出してくれる(勇気ある)商業媒体を探すしかないんじゃないかと思うんですよね。

 むしろ、伊藤春香(はあちゅう)さんみたいに、編集部が気に入らない対応をするとネットで暴露をするような書き手だ、となると、あさのますみ氏の書いたものがどれだけのものだったとしても起用しようと思う媒体が減ってしまうだろうなあと心配になります。

 Cakes編集部の対応を見た限りでは、私は違和感を覚えませんでした。担当者の保身もあるかもしれないけど、それだけ自殺コンテンツは扱いがむつかしいということはもっと広く知ってもらいたいと思います。

 なぜ自殺や自死を扱うコンテンツがアカンのか?

 それは誰か親切な人が別で解説をしてくれることでしょう…。


山本一郎既刊!『ズレずに生き抜く』(文藝春秋・刊)

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