「嫌なら見なければいい」という事例だと思うんですよね。

 津田大介さんへの好悪は人それぞれあると思いますけれども、それよりも表現の自由の原則のほうが大事です。

 だからこそ、いろんな圧迫があって表示や展示ができなかった作品を集めた不自由展のはずで、ギリギリのところまで踏ん張って展示しようとした津田大介さんの気持ちはまあ分かります。
 社会に潰されてきた表現の自由を訴求するはずが、イベント自体がそういうネタになってしまったという。ただ、表現の自由を考えるならば、こういう一定の人々にとって不愉快な表現こそ、許容されるべきなんですよ。日韓関係が悪化しているいまこそ、むしろ必要なイベントだったかもしれません。実際には、本当に日韓関係が悪化しているんだなということを証明するイベントになってしまったわけですが。

あいちトリエンナーレの慰安婦像騒動 表現の自由と特定のイデオロギーを並列したのは悪手だった【現場レポ】 #BLOGOS https://blogos.com/outline/395581/

 で、BLOGOS田野幸伸さんっていう人が、現地で見たレポートを作っていました。熟読推奨。

 もちろん、不自由展と言いながら、同じく不自由な表現活動を文字通り強いられたろくでなし子さんの作品展示はなく、田野さんの指摘する特定のイデオロギーを津田さんらしく選抜して展示していることを考えると、そりゃあそういうものが嫌いな人たちがガソリン持って押しかけて来るぞ的な脅迫はあるであろうし、自治体も「そんな物騒なことになる展示をしろと誰が言った」と文句を言い、展示の停止を求めるようなダサいことも起きることは予想できました。

 そんな展示をするのに税金を使うなんて、という話もあるんでしょうが、それは不自由展を開催してもなんらおかしくない、美術面での素養の乏しい津田大介さんを美術監督に選任した、という人事のところまでさかのぼるわけで、これは津田大介さん自身が悪いわけではないよね。

抗議は想定したが「制御不能に」 慰安婦像展示の津田大介氏 https://www.sankei.com/life/news/190803/lif1908030023-n1.html 

 意気込んで美術監督をやり遂げようと思っていたであろうに、そこは津田大介さん可哀想やな、運が悪いなと思うところではあるけれども、字義通りの表現の自由を貫くことができればかっこいいんですけどね。まあ、さすがに脅迫が相次いでいる状況では彼本人の力で展示を強行することもむつかしいと思いますし、引き際をうまくやって、同情を集めるのが一番なのかもしれません。


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