Facebookで「お前も見解を述べろ」と言われたので、移動中の手慰みがてら軽く見解を述べます。ちゃんとした議論はまた別の機会にしようと思っていますが。

 わたし個人の考えでは、小川榮太郎さんの議論が駄目なのであって、掲載した媒体である『新潮45』がチェックせずに掲載した咎をもって新潮社全体が否定されたり、不買運動の対象になるのはおかしいだろとは思います。

 また、その前の杉田水脈論文(あれを論文というべきかは別の議論として)でのLGBTは生産性がないというのも、文脈として不適切だったと感じます。これも、なんでそんな文章を『新潮45』に掲載したの? という問題はあります。

 ただまあ、これは単純に小川榮太郎さんや杉田水脈さんが書いたものがクソだったのであって、批判の対象はこういうクソを書いた小川・杉田両名に投げかけられるべきで、これを掲載した新潮社全体の問題だとするのもどうなのって感じでしょうか。

 長谷川豊が「人工透析患者は云々」と公言したので仕事を干されたというレベルの話であって、これは一種の多様な言論の枠内として、発言者を馬鹿にする根拠だとしても発言する場を封じろというのはまた別の問題じゃないのって思います。

 その意味では、LGBT問題が過激化しすぎて触りづらい問題の筆頭となり、かえってLGBTの当事者が上げる声の中身よりも政治意識の強い党派性のネタに展開し、とりわけ杉田水脈さんが自民党比例一位という事案に対する批判ムーブメントに繋げるという「これじゃない感」はあります。

 ああ、もちろん杉田水脈さんの発言はクソだと思ってますし、議員に相応しくないと私は考えていますよ。さっさと議員バッジ返上するべき人物の最右翼だと思いますし、こんなのを自民党が起用しているのは自民党にとって恥じゃないのかという風にも感じます。

 でも杉田さんが「そう思っている」「そう書いている」というのは自由なんですよ。馬鹿なんだろうなとは思いますけれども。あと、杉田さんを起用し重用しているというか、メディアに出て良しとしている自民党の党組織も。いったい何を考えているのでしょうね。

 で、新潮はそれをある種分かっていて記事を掲載していたのでしょうし、それが商売だったとして批判されています。まあ、批判するのは自由です。「WiLLみたいだね」とか右翼雑誌になっていたのかと論難するのも自由です。

 ただ、そういう月刊誌全般が好きでずっと『新潮45』だけでなく『文學界』や『WEBRONZA』を読んできた私からすれば、いま批判している人の99%は『新潮45』を買って読んでこなかった客でない人だと思うんですよ。良い記事も多かったけど、クソみたいな記事もたくさんあるのがこの手の雑誌ですからね。

 例えば、一連の小池百合子カイロ大学主席卒業詐称疑惑の先鞭をつけた、石井妙子さんの『新潮45』記事とかは出色だったわけです。執筆陣のほうが怖い女のように見えてならない「【特集】怖い妻たち」とか。面白い良記事の数々を知っていれば、ただ『新潮45』をポリコレで叩いたり新潮社全体の不買に繋げたりすることは無いと思うんですよね。小川榮太郎さんも杉田水脈さんも馬鹿なこと書いてるなとは思うし、そんなもん掲載するなやとも感じるけど「それはそれ」「これはこれ」でしょうし。

“一家心中する”に泣きじゃくった小池百合子…「父」との知られざる関係 https://www.dailyshincho.jp/article/2016/12270810/ 

 私の見る限り、いうほど『新潮45』など論壇誌を読まず、LGBTについて当事者でもない人たちが、自民党が嫌いだとか、朝日新聞を(変な論調で)叩いてきた小川榮太郎さんがクズだなどという党派性の理由で殴りに行っているだけなんじゃないかと感じる部分はあります。マーケット外で顧客でもない層が叩きに来たところで、まあ聞き流せばそれでいいんじゃないのって。

 それでも、『新潮45』は圧力に負けて廃刊になってしまうかもしれないし、開き直って極右雑誌として張り切るかもしれない。ここで、新潮社にはめげずに頑張ってほしいです。今後、敗戦投手にいあった小川榮太郎と杉田水脈の両投手の登板は無しで。


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