鴻上尚史さんが質疑応答で面白いことを書いていると評判になっていたので、見物に行きました。

帰国子女の娘がクラスで浮いた存在に… 鴻上尚史が答えた戦略とは? (1/7) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット) 
https://dot.asahi.com/dot/2018081000019.html

 「帰国子女が日本のクラスに溶け込めず浮いている」という話が、日本社会の「同調圧力の強さ」と「自尊意識の低さ」でまとめられていて、共感を呼んでおるようです。その通りかもしれません。振り返れば、自分自身の高校時代にアメリカ育ちの同級生が半ば嫌われている(しかし、能力も高かった)のを見て、比較的自由な校風の慶應義塾高校でもそういうことがあるんだなと感じていたのを思い出しました。

 一方で、同調圧力という点では、4年ぐらい前まで私も仕事の関係でヨーロッパ(極東ロシアなど)での子育てを真剣に考えたことがあり、子どもたちを現地のプレスクールに通わせてみたときに感じた「先方の文化に隷従するという意味での『同調圧力』」もまた、それなりに凄まじいものがあったのを思い出します。ひとくちに同調圧力というけど、日本独自のものでもないし、よそ者が感じる悩みの一類型だよなあ、と。

 ぶっちゃけ、海外では子どもをきちんと送り迎えしない家庭に対する風当たりは強いものがあったし、乗っている車や持っているモノで相手の身分を判断する圧力も凄く、また、それなりに多民族で構成されているはずのプレスクールでも言質の語学の拙い子どもたちへの偏見もそれなりにありました。親としてこれはまずいと思って介入してしまえば、向こうの親も子どもも「そういうことか」」と理解してくれてどうにかなるわけですけれども、話し合ってもどうにもならないご家庭もまたあって、いわゆる文化差による戸惑いや溶け込めなさというのは相応にどこの国にもあるものなのだと痛感しました。

 然るに、アメリカから日本にやってきた帰国子女がクラスから外されている問題については、鴻上さんらしい解決策を出しているわけですけど、なぜだか同調圧力の強い日本は下で、自由を旨とするアメリカが上だというような雰囲気すら漂わせる内容だったので気になります。まったく統制の取れない海外の学校に子どもを通わせてみれば分かることなんですけど、生徒・児童が好き勝手なことをやり、先生も見守ることしかできないクラスに溶け込めないのもまた、ある種の文化差の弊害だと思うんですよね。授業どころではない学級崩壊に陥って悩んでいるのは日本の比ではありませんから。

 私の場合は結局、海外での学習環境にやや失望し、また親の介護も厳しくなってきたので海外での教育を私は諦めることになりました。で、文化的に全く異なる世界で暮らしてきた人を融合させることの困難さを、単に「同調圧力の強さ」という内容でまとめることは、個人的には理解はできるが乱暴すぎると感じます。

 それとは別に、私も留学していたころに語学学習をするにあたり、どこの学校でも親しく毎日クラスメートと暮らすにあたり、クラスや寮で普通にスクールカーストの問題があることはよく理解できました。良いとか悪いとかではなく、高校生ぐらいまではそういう序列ができてしまうものなのでしょう。自分は巻き込まれなかったけど、アラブやアジア各国から来た留学生が英語下手を理由にいじめに近い状況になったのを思い出します。

 鴻上さんに限らず「日本はこうだ」という言説については、もちろん大部分がその悩みを持っている人にとって福音になりうる一方、でも実際に海外では似たような事例がゴロゴロしていて、日本だけが特殊というわけでもない場合も多数あります。日本に溶け込めないアメリカ人子弟は、おそらくロシアの学校にいっても他でもなかなか溶け込めないのかもしれません。

 こういうのは、やはり海外の人と親しくしたり、仕事でご一緒したり、留学したり、子どもを海外で学ばせてみて初めて気づくことなので、ある種の日本特殊論って正当性を判断するのがむつかしいよなあ、と思ったりもします。もちろん、日本人が自分から主張しなさすぎるという意味で、国民性がはっきりしているというのはあるのでしょうが。

kikokushijo_girl.png