先に、新聞業界の置かれているかなり大変な苦労の話をブログに書いたのですが、それ以上に苦しいのは出版業界でありまして、丸善ジュンク堂の一報も、また一歩、出版という紙に情報を印刷して売って回収するというモデルが崩壊している、ということでもあります。

【新文化】 - 丸善ジュンク堂書店、工藤恭孝社長と岡充孝副社長が辞任 https://www.shinbunka.co.jp/news2017/11/171101-01.htm

 ちょうど現在募集中の私の経営情報グループ『漆黒と灯火』もメンバーを募集しているのですが、この「自分たちの競争力の源泉がどこにあるか分からなくなっている」という悩みやご相談をいただく機会は多くなっています。また、動くためのモチベーションをみんなで高めようねというような話し合いもしたりします。

『漆黒と灯火』(第7期会員募集中)
https://yakan-hiko.com/meeting/yamamoto.html

 また、海外の事例と日本では市場の状況を簡単に比べることはできなくなっています。単純に、日本人1億2,000万人という減りゆくパイの中でごった煮の状況を作りながら各社がつばぜり合いする日本市場と、ぶら下がる人がどんどん増える英語圏の圧倒的な読者人口とでは、持てるポテンシャルもニッチが生き残る余地もまったく状況が異なります。

 新聞業界については、先に触れたように紙に情報を印刷して各家庭に配るというビジネスモデルは高収益であったけど、さすがにこのご時世では終焉に近くなってきてもうほとんど若い人は見向きもしなくなっている状況です。そういう中でも二年ぐらい前までは優秀な新聞記者がきちんと取材して書き上げる新聞記事に価値があり、これがネットで読まれることで何とか新聞社のブランドを維持してきました。

 しかしながら、新聞各社がネット戦略を事実上転換し、新聞が本来競争力を持つ新聞記事は有料購読者、すなわち家に新聞が配られているか、ネットでお金を払っている読者にしか読ませないという話になってしまうと、ネットでの新聞社のプレファレンスも失墜してしまいます。同じような記事なら他のメディアで読めばいいや、というニーズに新聞社が抗うことができなくなり、オンライン上にはネットと電話で一日3本も4本も記事を書くライターが、でっかい装置産業然とした新聞社の記事を駆逐する現象を起こしているわけであります。

「文句を言っているだけ」の新聞メディアが若者にまったく読まれない理由 - やまもといちろう 公式ブログ https://lineblog.me/yamamotoichiro/archives/13159703.html

 それ故に、新聞業界よりも先に鬼籍に入りそうな出版業界は、版元も取次も本屋もそう遠くない未来に死ぬ運命にあります。これはもう、仕方のないことです。それでも、特殊な分野、価値のある情報を束ねて適切な価格で日本人に対して売っていくというサイクルは、あくまでこの「紙に印刷する本で情報を流通させるというビジネス」において破綻しているのであって、必要となるものはバリューとプレファレンスです。ニッチでもお金を払ってくれる誰にどのくらい愛されるのかが見えてくれば、転換していくビジネスの先も予想がつくようになります。

 その意味では、更に先に死んだ先輩は音楽出版・音楽業界です。よくご存知のように、ナップスター訴訟や音楽のコピーなどでも裁判を繰り返しながら、リスナーのメディアシフトがCDやDVDからあっという間にネット経由に移ってしまい、いくらニッチでもCDはまったく儲からなくなりました。かつては年に何曲もミリオンセラーが名前を連ねていたものが、いまではアイドルの握手券つきタイアップがなければなかなか捌けませんし、きゃりーぱみゅぱみゅのようなきちんと仕掛けたアーティストもまったくヒット曲を出すことができなくなりました。

 これは、メディアとしてCDが死んだだけでなく、数分で終わる楽曲に対して数百円、アルバムに三千円を支払うという価値が摩耗したことも背景にあります。レンタルCD屋にいって借りてきてダビングして返す商行動は常にビジネス側に有利な権利維持とビジネス環境を実現してきましたが、札束を刷るようにしてCDを売り抜ける時代が終わりを告げると、アーティストも事務所も「食べるために」体験を売る、すなわちライブや対面のグッズ販売へとシフトしていくのも当然です。CDのように濡れ手に粟で量産はできないけど、リスナーと一緒に場を作り体験を共有し、それをお金に換える仕組みは、これからが本番であろうと思います。むしろ価値のある舞台を作ることのできるユニットはCDなどはグッズ扱いとなり、海外でも戦えるプロデュースにまで成長していっています。

 立ち返って、新聞業界も出版業界も、おそらくはこの音楽業界の盛衰と似た経路を途中までは辿っていくでしょうし、拠って立つ価値のある情報の構造も変容していきます。実際に新聞各社が採った戦略はネットを別働隊でお試ししつつ、本体の新聞紙をより多く売る、ネットと抱き合わせるぐらいのことしかできなかったので、時間を捨てた形になってしまい、今度は大切な経営資源である優秀な新聞記者が新聞業界の未来に見切りをつけてネット業界に移るようになってしまいました。

 価値のある情報は新聞紙の上に刷ろうがネットで出回ろうが価値はそれほど変わらないため、新聞社からするとネットは金にならない情報が流通するところになる一方、新聞記者にとっては価値のある情報を一番早く読んでもらえる場所になるという利害相反がそこにはあります。価値のある情報を持っている人にとって、生き残るために一番良い場所を探そうとすると、年配の方は会社が潰れるまでそこにいること、会社が潰れるまで居られないであろう若手はスキルを得たらさっさと価値を提供できる場に移るのは仕方がないのだと思います。

 夜間飛行やBLOGOSのメルマガで出している内容でも、この手の話はどうしても多くなりますが、私も投資や仕事でこの手の話は毎日悩みながら進めているし、思考停止しないとやっていられないって人も多いんじゃないかと思うんですよ。あとで考えよう、面倒なことはって。

新聞業界の斜陽と世迷言について | プレタポルテ by 夜間飛行 http://pret.yakan-hiko.com/2017/11/01/yamamoto_171101/ 
夜間飛行メルマガ 山本一郎『人間迷路』
http://yakan-hiko.com/kirik.html

 水は川上から川下に流れるのであって、これを権威や実績やブランドで押しとどめることは無理です。また、いくらシルクロードは栄えても海運が発達すれば廃れる運命にあります。人通りが絶えた駅前の商店街に店を構え続けて老舗を名乗ることがビジネスとして、また価値を生み出すことが求められる社会人としてどれだけの意味があるのかを見つめ直さなければなりません。すべてはプリファレンスによって支配されるビジネスで生き残るためには、どうしても出しておかなければならない解はあるのです。

 まあ、分かったところで「面倒くさくて前に進めない」とか「理解はしているけど身体が動かない」ってこともままあるわけでして、そういうときに、モチベーションを管理したり、行く先を見定めたりすることを共にできる仲間が必要なんだろうな、と思っております。

 先が見えなくて立ちすくむのも分かるんですよ。でも、せめて薄明かりでもぼやっと見えていてくれることの大事さというのは、知性有る人間として必要なことなのではないかなと。ええ。


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