山尾志桜里女史については、そこまで親しくないのにどういうわけか何件か取材を頂戴しました。

 私は個人的に不倫はとても嫌いです。不倫はいかんなと思います。

 それ以上に、不倫は政治家にとって私は禁忌だと思います。不倫は文化どころか、不倫でも致命的なスキャンダルにならないフランスのような社会もありますが、フランス人が何と言おうと私は不倫が嫌いです。

 まず、山尾志桜里女史には5歳のお子様がいました。不倫相手にもお子様がいらしと報道されています。一義的には山尾女史も不倫相手も奥様や旦那様、そしてお子様にまず謝罪し、許しを請うべきだと思っています。そして、ここまでは徹底的に個人的な話であり、本来は週刊誌だろうが第三者だろうが当事者同士で話し合って解決するぶんには、他の不倫と同じくゴシップで終わる話です。

 しかしながら、不倫というのはつとめて本人の倫理観、とりわけ大事な家族を傷つけても一時の情愛に身を委ねるという欲望に理性が負ける話でもあります。結婚式で神前なり教会で伴侶との永遠の愛を誓ったはずが、ときとともにその情愛が色褪せた結果、他の異性と一緒になるというのは何よりも神を侮辱しています。

 そして、永遠の愛を誓った伴侶だけでなく、血を分けた子供たちを置いて家族に背を向け不倫するというのは、大事なものをないがしろにするということです。政治家として、大事な職責はすなわち日本社会の価値観を守り、安心と安定を社会にもたらし、情愛に満ちた環境を作ることで国民が幸せな人生を送れるようにすることにほかなりません。

 その政治家が、自身の欲望に負けて快楽にふけり、本人がもっとも大切にするべき家族をないがしろにし、果たして日本社会をより良くする活動に本当に身を捧げることができるのでしょうか。

 もちろん、私自身はキリスト教的倫理観が強いこともあるので、他の人と意見が違うこともあるかもしれません。不倫など個人的な事情はさておき、政治家としての能力があればよいのだ、という人もいるでしょうし、そういう意見も理解はできます。

 それゆえに、山尾志桜里女史に限らず、自民党の方でも民進党でも、どのような政党でもスキャンダルがあったときは「政治家として、そういう問題も乗り越えて実現して日本社会に何をどう貢献するつもりなのかという意志」をはっきりさせてほしい、と願っています。人間誰もが過ちをする可能性はあり、また、あらゆる罪を背負って生きている存在である以上、贖罪をきちんと行い、反省し、新たな出発をすることは大事なことだと思っています。

 民進党関係者からも山尾女史に対する期待が強かった分だけ、前沢新代表による新体制の出鼻をくじかれることになってしまいましたが、そういう咎もきちんと背負って前を向いて出直していってほしいと願っています。


business_group_shock