「我が国が誇るSIer業界が馬鹿にされている記事がけしからん」というので見物にいきました。執筆されていたのは日経BPの木村岳史さん。



SI亡国論(その2)- 日本企業のイノベーションを20年遅れにした罪

http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/542472/121100010/



 お、おう…。



 もっとも、これというのは日本企業の側が業務効率化のための情報投資に対して、きちんとした仕様を組み上げられなかったり、システムの妥当性を評価できなくてSIerに丸投げした結果も結構あるんじゃないかと思い、そうであるにもかかわらず日経こんぴうたのこんな記事でSIerは酷評されつつも現場は日々のデスマーチで命を削っておられるのだなあと考えると冷え込みの厳しい夜長に暖かい火が心に灯るのであります。


 まさにこのあたりの話を聞きながらシヴィライゼーションとかやりますと「共通規格」(Replaceable Parts)のことを思い出し、工業による大量生産の飛行機に伝統工芸品であったゼロ戦が物量で押されていく太平洋戦争を想起してこれまた涙に暮れるわけでありますが。



 なんというか、日本企業全体の問題点として、仕事の共通化を図ってコアプロセスを標準化しようという動きにはあまりならないのは解決しないんだろうかと常々思うわけであります。やっぱイオングループと日本ユニシスの攻防なんかを見ておりますと、やるべきことが分かっていても、それを棚卸しして並べて何が必要なのかを整理してシステムに落とし込んでいくということが非常に苦手というか。



 また、恐らくは、なんですが木村さんの主張する「業務プロセスの標準化を図るはずのERPの導入」と言われて「はぁ?」とか感じる情シス屋さんは多いんじゃないかと思うわけですよ。身体に合わせて服を仕立てるのが服屋の仕事だろう、服に合わせて体型をどうにかしろとは何事だ、的な。当然、会社が大きくなって商いが複雑になり、さらにN&Aだ業務提携だでぶら下がるデータの形式がただでさえスパゲッティになっているのに、画一的なERPでどうにかせえやと言われても、というのはあるかもしれません。



 その点、海外なんかだと早々に社内のシステム効率化を自前で用意するのを諦めている会社さんがいっぱいありまして、そういうところは買う側買われる側お互いが似たようなシステムですので統合しやすいよねという話はあって、多国籍大企業がどんどん多国籍大企業になっていくという雪坂を転がり落ちる雪だるま状態になるのも分からんでもないといったところでしょうか。



 まあ、そういう服と身体の隙間を埋める会社さんが重宝されるのもしょうがないよね、と思うわけであります。仕組みが洗練されるほどに、システムは複雑になるという法則はどうにかならないものかと毎回こういう話を聴くたびに思うのでありました。