という記事を産経デジタル「iRONNA」で書きました。そこ、マッチポンプとか言わない。



メディアの「韓国・中国叩き記事バブル」 映し鏡としてのヘイトスピーチ

http://ironna.jp/article/471



 事実関係で言うと、米中対立の構造の中で、経済的な協調はありながらも日本と中国・韓国の間では外交的な緊張が高まっていて、世界に対して中国・韓国が歴史カードを踏み越えるような日本の中傷をやった結果、日本が大変迷惑を蒙っているという図式はあります。慰安婦であれ南京大虐殺であれ、事実関係はきちんと踏まえてもすでに日中間、日韓間では正式に戦後の補償は終わっており、アジア女性基金も蹴られているので日本としてはこれ以上誠実にやりようもないというのも事実です。



 なので、メディアがこれらの問題を踏まえて嫌韓反中の記事を乱舞させて煽るのもまた、国民感情としてやむなしの部分はあり、日中・日韓間の民間レベルでの反発が外交面に大きく影を落としているのは事実であります。


 ただ、それをもってヘイトスピーチのような排外的な民族主義的言論が許容されているのかというと本来それは別の次元の話です。日本と韓国が対立しているから日本にいる韓国人を日本人が排斥してよいのだという言論を野放しにすると国際社会からの理解は当然得られないでしょうし、ぶっちゃけ彼らが嫌いな韓国社会の現状と同じレベルのことを日本人が日本社会でやっていることになり、さしたる意味はなく、むしろ有害だって流れになります。



 国際社会の場や、民間での交流において中韓からの中傷に対して日本人が毅然とした態度を取り反論をしたり、ごくごく個人的な感情の元に文化的なものやマナーについて違和感を申し述べる程度に済ませてこそ日本らしさが引き立つわけですよ。



 レイシズムが日本の中で芽生えてしまう理由ってのは、結構この辺の報道によって煽られた日本人の一部が、自身の経済的な苦境から逃避するように外国人排斥に身を投じてしまっている現状はどうしてもあると思うんですよね。それこそ、ヘイトスピーチを真顔で投げかけている人たちの中で、まともな社会的地位についている人はNHKの百田尚樹さんぐらいしかいません。いろんなところでヘイトスピーチをやっている人の映像やら書いているテキストを見るんですけれども、ほんともうちょっとどうにかならないんだろうかと思わずにいられないものばかりであります。



 その意味では、やはりしっかり考えてほしいのは「日本人としての矜持を持つ」ことと「日本人以外を排斥する」こととは違うんじゃないのって話です。別にグローバルエリートとか喧伝する必要はないけれども、日本人が日本の中で決めたルールを守らない人は日本人でも外国人でもしっかりと罰する、しかし隣人としてきた人は日本人であろうが外国人であろうがまずはきちんと受け入れて接するという方法が一番日本らしくて良いんじゃないかと思うわけです。 



 とか書いてたら、バナー広告に三橋貴明の「韓国経済大崩壊」とかいう煽りの情報商材が貼られていておいおいと思うわけですけれども。



 今日もふさふさで頑張って生き抜きたいと思います。