さまざま異論もある中で、自民党が公認候補として今回の参院選に立てるというので、いろいろと見聞きしつつ自分なりの意見を整理しているところではあるんですが、正直言いますと、いろんな経験や知識を培ってきたつもりである私の目から見てもちょっと異様な候補者です。



 もちろん、経営者がその成功の結果、政治を志すというのはある意味で健全であるし、それはまったく問題にはならないわけですけれども、今回の渡辺さんについていうと、ありとあらゆる身体検査において「望ましくない候補者」という回答が出るにもかかわらず、その知名度や成功相応の集票力があるということでパスられるという、実に珍しいポジションにあります。


 もちろん、バッジつける前よりもバッジつけた後に打ち落としたほうが良いと考える人もいるのかもしれませんが、成功した経営者としては多かれ少なかれ出てくる企業スキャンダルについては文字通り地雷原の様相を呈しておりまして、しかし渡辺さんは完全にサイコパスのため罪悪感や贖罪意識はないのだという考察になりやすい。ある意味で、無敵の人であり、かつ自分が他人にどう見られるのか物凄く気になる人でもある。



 そして、これらはいままさに日本が直面している貧富の格差拡大と、それに伴う社会の分断という非常に重要なテーマについて、でっかい漬物石を投げ込む問題でもあります。もう誰がどう見てもブラックで、そのように報じられ続けている中で、なお社会の中心で屹立し、政権与党の公認を得て出馬し、恐らくバッジをつけるわけです。これはもう、慎みある日本社会の秩序に対する真正面からの挑戦じゃないの、単に一労働行政という世界とは隔絶された、真の意味での腐敗した権力者とそれを掣肘できない社会制度のだらしなさの構図に直結するわけですよ。



 週刊誌がキャンペーンを張るのも当然で、それはもっと批判しろ、叩けという意味ではなくて、今回の渡辺さんの出馬をもって、もう少し労働者の権利や働きやすさ、勤務時間といった「日本人が日本で働くということ」に対してしっかりと議論し、明確な方針と政策、そして逸脱者に対する厳正な処罰を考えるべき時期に差し掛かったのだと言えます。それが良いとか駄目とかではなくて、社員が休日を取ったことにされてしまうケースや、慈善活動にお金を払うために了承無く天引きされているケースといった、それは事実ならば違法だろうという問題でさえも許容されてしまっている現状という奴でしょうか。



 マクドナルドの見做し管理職であった店長が過剰勤務していた件ですらも、紆余曲折はありつつ一定の着地を見たことの裏返しもあります。この文字通りの違法行為が行われているのだとして、その行為による犠牲者や抑圧された人たちを踏み台にしてバッジをつけるというのが果たして政治として相応しいのか、という議論はもっとしっかり起こされるべきじゃないですかね。



 そういう搾取がなければ経営が成り立たないのだ、とすると、それは経営に失敗しているのでありまして、この問題については言い尽くせないものがたくさんあります。声の上げ方というのは、何か無いのでしょうか。