今月もほとんど東京にいなかったので、ちょっと無理を言って旧・大阪維新の会(現・日本維新の会)に大阪側、議員側の人たちと、仲裁役になっている某全国新聞の政治部の人を交えて、メールベースで質問状を取り回したり、頂戴した回答を精読してさらに質問したり、ということで政策議論をしてみたわけです。



 と言っても、経済政策自体がいわゆる自民党・挙げ潮路線(小泉改革の理念的継承)と、地域再生のための道州制導入という、実はあまりしっかりとした整合性は取れない政策のミックスであるため、高度な政策議論になればなるほど、その政策の方針や主導権を巡って混乱してしまうのではないかと思うわけですね。


 橋下徹さんの政策主張に関しては、ちょっと差し置きます。これは、昨今の日本維新の会の政策論争をヲッチしていると、実は橋下さんは話題をマスコミに提供する広報の窓口や、会としての中核を担うための象徴なのであって、機能的にはベイスターズにおける中畑監督のようなポジションであることは間違いないからです。橋下さんの政策議論や行政手腕に類されるものは、すでに現状の日本維新の会の為すべき議論の包括性や密度、分量を捌くだけの容量が残っていない状態なんじゃないかと思うのです。



 その証左に、議論巧者で確かに目立つけど具体的な政策議論においてはたいした能力がないと評価されてきた古賀茂明さんや飯田哲也さんが日本維新の会から外されるという状況になりました。国政に出るからには、その場限りの政策論争を派手に繰り返して支持を集めるだけでは成り立たないし、党勢を立て直すためには実のある議論をしていかなければ組織が崩壊してしまうよねという当たり前の結論に立ち入ったのだろうと思いますが。



日本維新の会で離党騒ぎ勃発 ブレーン集団が「三行半」出す

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20121004/dms1210041616023-n1.htm



 で、日本維新の会があれこれ語っていることを総合するに、生活保護問題もそうなんですが、大阪のような大都市圏以外の地域では生活保護は交付金の中に含まれているので、地方財政の負担を考えて生活保護は削減せよというのはちょっと筋違いで、勉強不足なんじゃないのかなと思います。兵庫や奈良の自治体からブレーンがきているはずなんですけどねえ… 中でそういう議論はしていなかったんでしょうか。



 つまり、生活保護自体の制度的な問題はともかく、実態としては都市部から地方への所得移転であり、地方経済の一部を回している乗数効果がある程度高いとされる新しい公共事業のひとつでもあります(たぶん、生活保護でもらったおカネはほとんど貯蓄に回らず使い果たす)。もちろん今後は納税者の復讐が始まるのだろうとは思いますけれども、そうなると今度は新しい受け皿が必要になるでしょう。



 そのために、必要なことは地域の地縁、血縁によるコミュニティ機能の強化(家庭セクターの強化)であったり、受け皿となる地域の財政の健全化であって、そのためには現在の都道府県ごとの地方行政でいいのかという議論になり、道州制がいいんじゃないのというお話になってくるわけで。かつて大前研一さんが書いてた平成維新においては、アプローチとしては逆のベクトルではありましたが、中央と地方のあり方の見直しをし、地域が地域の発展を行うために必要かつ柔軟な予算配分を行わしめるという意味でも、まあしょうがないのかなと。



 ただ、そうなると仮に負け組自治体が出たときどうなりますかね。これが、地方交付税のように鉛筆を舐める話から、単純な歳入支出ベースを各自治体がもって経営していった場合、もちろん高齢者比率の高い自治体から持ち堪えられなくなって自治体の破産状態に陥りますよねえ。いままでは、自治体の赤字を国が担保していたものが一部外れますよという話に当然なっていくわけでしょうから。そうなると、イギリスみたいにカウンシルフラットのような低所得者に対する支援を行える自治体できない自治体が出てくる。コンパクトシティだプラチナタウンだ言ってる前に、自治体内でサービスを回すための労働者人口を賄えなくて、いわゆる姥捨て山自治体が生まれるわけですよ。死んでいく日本人を置いておくためだけの。



 死んで逝く貧乏で孤独な老人は仕方がないよね、って話で、本当にいいんでしょうかねえ。家族を儲けず、孤独な生き方をして一人死んで逝くのはその人の責任、と割り切ってしまうのは望ましい日本の将来ではないように思うわけなんですが。



 ただ、財政を見るに海外要因抜いて日本だけ見ていても、放っておけばそうなっちゃうわけで、弱者にしわ寄せというよりは弱者に救いの手を差し伸べられない状態に陥りますね。どうしようもないんだけど、どうしようもないということじゃいけないから、改革しようという話だったように思うんですが、地方の反乱気味に、大阪という地方から国政のシステムを変えようという割には、あまりそのあたりのことは考えずに陣笠被ってやっていこうという意味合いのコメントが飛んでくるとちょっと考えてしまいます。



 まあ、これから考えるよ、という部分もあるでしょうし、組織内部で議論していてまだまとまっていないよということもあるんでしょうけど。ただ、反原発だとか、大阪都構想だとか、確かに国民の耳目は惹けたし、期待度も注目も集められたけれども、そこって日本経済なり日本社会をどうにかするための急所ではまったくなかったんでしょうね。行政の効率化をすることで地域経済がよりよく回せることが保障されるわけではありませんから。



 また、悪者にされたり嫉妬されたり大変な地方公務員という制度自体も、そろそろ考えないと、本当に死に逝く地方経済の喪主のような役割になってしまいます。ケースワーカーや年限登用制度のようなものを駆使しながら、当面必要な行政コストの削減と行政クオリティの維持という両立のむつかしいチャレンジをしていかないといかんよ、ということでもあるんでしょうけどね。



 そして何より、地方行政において、その地方経済の成長戦略は個別に立案しなければならないんだろうけど、実際には中央からの交付金や事業資金頼みで、なかなか自立できる状況にないよね、という問題も大きい。人口や食を支えるといっても、肝心の就労者が減り、所得も相対的に減って、出生率も減っていくわけでね。シュリンクするしかありませんが、そのシュリンクを、どう夢のある形で、効果的にやっていくのかという、そういうデザインが必要なのかもしれませんね。



 衰退する各都道府県、各市町村は積極的にmixi化させるべきです。そして限界集落のような過疎コミュニティを楽しもうず。