今回のスパイ事件でも出た李春光氏の問題については、周辺者、関係協力者作りの先頭に立つ人の「特性」について、改めて議論となったように思います。いわゆる「上忍」のことなんですが。



中国、「李春光」1等書記官の諜報活動を否定

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120530-OYT1T00996.htm



一般論ですが、有力者を篭絡して高次情報を確保しようというのは非常に重要な諜報のアプローチのひとつであり、今回のような政府中枢に繋がる人脈に直接食い込む要員であれハニートラップのような方法であれ、必ずしも非合法とはいえないけれども、その人を情報提供者とし、なんとなれば脅してでも利害一致にもっていくためには、担当者が警戒されてはいかんわけですね。


 公安としては、国内法の諒解に則って外務省に李氏の身柄確保も含めた要請を行い、外務省としては、外交の諒解に則って、捜査に応じさせることなく出国させて、中国政府としては、これまた一般的な外交の諒解に則って諜報活動への関与を否定しており、問題の処理にあたっては各部署大変なご苦労があったかと推察されるものであります。ことが一通り終わったあとで、読売新聞が出すというのもひとつの様式美なのではないでしょうか。



 政府へ食い込んで、韜晦しつつ有力議員や高級官僚と交わり情報を引き出すには、いろんなテーゼを組み合わせ、知られても問題ない範囲での本心や経歴、人脈などを披露しつつ、時間をかけて浸透する必要があるわけですから、騙された人たちというのは「まさか彼がスパイであるとは思わなかった」という述懐になるのです。



 同様に、食い込まれた結果、うっかり信用して情報を流したり、重ねて交流する中で自分の重要な人脈を紹介してしまったケースでは、特に本人が「だんまり」し、スルーすることで自分に嫌疑がかからないようにするものです。問題ある人物に食い込まれていたことを気づかなかった、というのは、誰かに何か批判される以上に、そういう人を近くに置いてしまった後悔と反省をするものだからだと思っています。



 だから、問題が発覚して正体が露顕してしまった際に、人前に出て「彼は悪い人物に見えなかった」といえる人は、たいして利用されていません。むしろ、静かにしている人、詳しく状況を知らなかった、面識もそれほどなかった、という人の中に、本丸がいるんじゃないのかなと考えるわけであります。



 問題については、すでに怪文書を年初に流している人がいるので参照。



「野田総理訪中をめぐって起きた官邸内の内部紛争」 (全文)

http://d.hatena.ne.jp/kata-san/20120127/1327647341



 まあ、チェック機能というのはこういうところからも発揮されるんだ、知らなかった(棒)という話でもありますが。



(追記 11:34)



 そういえば、改めて田中公男氏の名前が取り沙汰されておりますが、鳩山元首相の元秘書でもあり、日本側のウィンドウパーソンであるということで、国会でもあれこれ質問の具になっていたりしました。



 なぜか町村派の西田昌司せんせがブログで書いておられますが… 玄葉大臣が捜査の対象になっているとか、ちょいちょい踏み込んだ話を書いておられます。いまそのことを書いていいんですかねえ。



西田昌司「中国スパイ事件、真相を隠すために国会を開かない民主党」

http://blog.goo.ne.jp/mojiokoshi/e/d32ab40baaa63624d84eb5cf861738b8



 もっとも、玄葉大臣が「李春光氏は知らない。会ったこともない」と言ってしまったことは、あとあと変な話にならんといいなと思いながら聴いておりましたが。