たぶん、私自身がここでいうクズに該当するんだろうなあとぼんやり思いました。

数万人に1人のレベルのクズが社会構造を決定する
http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/11523

 もちろん、「女性とセックスするだけで3万円もらえます」というスパムに応じる人や粘着してる人が私そのものであるという話ではなく、なんかこう、クズの気持ちが分かるというか、私自身の感覚のどこかにクズセンサーとか基地外レーダーのようなものがあって、たまにセンサーに引っかかったり、レーダーに機影を発見して、どうしてもそういう人を愛おしく思ってしまうのです。

 クレームを入れるという意味では私も相当なクズの部類かもしれない。普段はまったく気にならないが、ふとした折に思い出すと三年前のことでも鮮明に思い返してクレームを入れたりします。
街で、ものすごいクレーマーを見た。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20111203/p1

 シロクマの屑籠で取り上げられていたクレーマーのようなことは、私はしません。あんまり人前で怒らない。でもねえ、そういう精神的な狭窄に陥っていく人の状況が痛いほど良く分かるんですよね。誰もが敵になっていく感覚に陥るさまとか、見下されている感じがどうにも拭えなくなってキレていく途中とか、頭に血が上ってだんだん何を言っているのか分からなくなっていく経過とか。

 で、どうしようもない人が一定少量いるお陰で、その人への対策をするために世の中が構築されていく局面というのは良くあって、これはもう、頭の良し悪しとかあんまり関係ないんですよね。60年代の全共闘で何万人学生動員とかいう空気もあったけど、当時の幹部の方々とお話をしたりしますと、本当にのめり込める闘士はせいぜい200人ぐらいのもので、残りは雰囲気であった、みたいな証言が一杯出てくるわけです。それに意義があると信じきれる人は、当時ですら、一握りであったと。

 50年ほど下ってウェブの時代になって、まあネトウヨだとか花王電凸とかって話が事件性を帯びつつ騒がれていたが、私自身はそういうのにはあまり興味はなくて、ただなんかそこで喧伝されていた内容を調べてみたり、ウェブで無造作に転がっている花王関係者(と思われる人)のブログを熟読したりとかってことはやる。そこに何の合理性があるのだ、と思い返すのだが、何度考えても合理性などない。私自身、別にメンヘルというわけでもないしな。

 クレームも同様で、いまさらそんなことに文句を垂れて、キチガイと思われるのではないか? と自省しても「とりあえず聞くだけ聞いてみよう」と思ってしまう。どんなに池田信夫を愛しても実らぬ恋であることは分かっていても、つい読んで煽ってしまう。mixiもいつまでも煽っていたい。いわゆる世間一般の凝り性ともまた違った感覚なんですけど、内なるクズな心というか、何というか。

 ゴネ得は良くないと思いつつも、交渉でどうにかなるのであれば駄目元でも値切ったり注文つけたりしておこう、というのはあって、で、対応している先方の社員さん店員さんからするとマニュアルにない対応をしなければならないのでクレーマーがきたどと思っているのかなあと感じたり。クレーマーを怖れる目つきというのがあって、そんな目で私を見るなと思ったり。でもどうせだから一揉みしてみようかと考えたり。相手が疲れてくると態度がぞんざいになったりして。ああ、私の人生で一杯そういう経験値が記憶に蘇る。

 大手ウェブサービスでは、お客様の対応窓口に電話番号を記載しないケースが多かったりするのも、そういう話なのかなあと思うところで。でも代表電話調べて電話しちゃったり、弁護士さんに頼んで内容証明送らせたりするんですよね…。

 すいませんねえ、何か。いろいろと。