素晴らしい解説記事があったので、脊髄反射的にピックアップしました。というのも、ゲーム業界がどんどんICT業界のルールに飲み込まれていって、概念のヒエラルキーという意味では完全にICT業界の下に位置するようになったと実感しているからなんだけれど。

Access Accepted第311回:欧米ゲーム業界に変化を及ぼすか。AppleとMicrosoftの最近の動向
http://www.4gamer.net/games/036/G003691/20110725048/

 記事中は「欧米ゲーム業界」と限定しているけれども、いま私らの目の前に広がってる業界の結構な問題はこの内容からの援用で説明できてしまう。UnityやUE3などエンジン類の攻勢、携帯ゲーム機の汎用化とか、ゲーム業界の雄であり続けた任天堂がしばらくパッとしないプロダクトを連発して業界から残念がられていること、PSN問題を含めてDLCが主要な売り上げの一角どころかDLCだけで成立するようなプロダクトを求められ始めていること、パブリッシャーとデベロッパーの分離やらコンテンツファンドやら、さまざまな問題が、この定義のはっきりしない化け物のような「エコシステム」という言葉に内包されているように思うんですね。
 通常は、ゲーム業界の慣行として、新ハードにはローンチタイトルがあり、そこでひとつのまとまった商機があって、それへ向けて大手のパブリッシャーがしのぎを削る的な、恒例行事がありました。良くも悪くも、それがゲーム業界の儀式というか、ゴールデンルールだったので、みなそれに合わせてR&D計画を組み、ラインを作って決算対策に応じて発表するタイトルを調整したり、外部からのコンテンツ引き受けやパブリッシュ業務を組み立てていた側面はありました。だからこそ、タイトルが出ないまんま5年とか引っ張ってもファーストパーティーだからいいや的な作り方も容認され続けてきたし、そのゴールデンルールから外れたスタジオは一発二発のタイトルは大手ゲームパブリッシャーに引き受けてもらった後で売り上げの如何に関わらず解散を余儀なくされたりしていたわけですね。

 でも、現状ではあらゆるものがエコシステムでありシームレスなサービス環境で提供され、デベロッパーがひとつのハードやプラットフォームに拘泥する必要がなくなっていくと、結果的にひとつのタイトルで複数ハードやプラットフォームにS-INするのが当たり前になってくる。特定のハードと一蓮托生、という業界慣例がICT的な流儀の中で魔力を失えば、必然的に呪いも解けて蛇口のひねり方や水の出方も換わってくるんですね。

 逆に、ハード選択に拘泥されないと今度は命綱がなくなることも意味するので、プラットフォームの独占を受け入れて囲い込みに乗ろうとするスタジオと、オールラウンドにコンテンツを提供するための技法に磨きをかけてパブリッシャーをまたにかけて展開するスタジオとに分かれていくだろうし、ヒットが出てある程度売れたり有利な増資したりして資金的に余裕のあるところは、顧客とのコンタクトポイント以外の部分を自社で勝手に垂直統合してもおかしくない。そういう戦略を取れる規模と品質を持っているところは少数だろうとは思いますけれども。

 日本では、大手メーカーによる囲い込みという図式はずっと前から成立していた部分もあるんですが、ある意味でゲーム業界各社が規模的に小粒すぎて逆にICT業界各社から見下ろされちゃってるわけなんですよね。ただし、コンテンツとしての完成度や顧客の満足度という観点では、ICT業界出身のアプリ屋らが作ったソーシャルゲームよりもはるかにゲーム屋出身のほうがうまくいっている(製作コストは高いけど)という点から考えても、今後の事業領域の考え方というのは慎重にやったほうがいいように思います。

 もちろん技術的に言うべきことはいろいろあるけれど、その辺はまたいずれ。