執筆したのは先々週でしたが、諸事ありまして調整ののち、無事月曜に掲載されたようです。事後で恐縮ですが、報告など。

【切込隊長】お前らの遊ぶソーシャルゲームのプロジェクト予算の7割は広告でできています
http://www.4gamer.net/games/095/G009575/20100712001/
 ソーシャルアプリの開発会社で売上面での異変が起き始めていたので書いた記事がこちら。

ソーシャルゲームとブラウザゲーム界隈でバブル発生中
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/06/post-0b13.html

 また、幾つかフォローアップ記事を頂戴しているようです。はまちちゃんのエントリーは違うけど、参考になったので。

ソーシャルゲームのブームはすぐ終わる
http://d.hatena.ne.jp/Hamachiya2/20100712/social_game
ソーシャルゲームブーム終了のお知らせについて
http://d.hatena.ne.jp/gamella/20100713/1278951377
ソーシャルゲームの無くなる日
http://sionic4029.wordpress.com/2010/07/13/thedaysocialgamesstoodstill/

 4gamerに書かなかった部分としては、あの記事はPCとモバイルをシームレスな市場として捉えて書いていることもあって、国内大手プラットフォーマーやFacebookで大きな利益を上げたプレイヤーの一貫して強気なスタンスについては好意的にも批判的にも書きませんでした。ZyngaがGoogleやソフトバンクから出資を受けたり、海外のキャリアが顧客へのサービスの一環として端末にプリインする動きなどは、そのうち書くかもしれません。

 私としては、ソーシャルゲーム業界全体がいかんというのではなく、単純に業績を上げるための方法論として商品・サービスの品質を上げるよりも広告宣伝を積んだほうが係数が高い状況はジャンルの最終局面に良く見られる傾向だと思っており、また、ソーシャルゲーム業界とレガシーな据え置き機ゲーム業界とで関係者のモノの考え方や価値観が隔絶しているところに問題意識を感じています。歩み寄れ、というわけではないのですが、メディアはどうであれ最終ユーザーは結局人であり、人に対してメディアやコンテンツがどのような働きをするのかについては引き続き良く考えていかないことには社会が豊かにならんと思うわけです。

 それはいまだ楽天グループが入れてもらえないEMAの問題であったり、GREEに出資して経営者が「儲かった」と発言してしまうKDDIの問題であったり、さまざまあるわけですけれども、こういうネット業界の延長線上としてのソーシャルアプリ界隈の機微と、コンテンツの良質さに拘りユーザーにエクスペリエンスをいかに積んでもらうかに命をかけているゲーム業界の琴線というのはまったく別のものでありまして。

 「だからスマートフォン向けアプリやろうぜ」という主張もまた、よりフォーカスされた「で、俺たちどこで喰っていくよ?」という問題の中である種の場当たり的だけど最適の解決策のひとつとして念頭に置かざるを得ない。

 同じように、出版業界も荒れているし、最近ではラノベの飽和の話もある。まあ、個別の盗作問題と並べて論ずるのはあまり賛成はしないけどな(笑)。

ラノベ界、「相次ぐ盗作」と「市場の飽和状態」の関係
http://news.livedoor.com/article/detail/4879719/

 要するに、「業界に関わりたい、生き残りたい人数」に比べて、「業界の市場の大きさや利益率から逆算される、業界が養える人数、払える金額」がどんどんしょぼくなり、同じ業界だけでは喰えなくなって、他の業界と連携したりしてみたけれどうまくいく案件いかない案件がはっきりし始めて、いよいよヤバくなってきたので会社自らが異業種異業界へ飛び込んでいこうというフェイズなのでしょう。

 そこには、才能の使い捨てだったり、恒常的な下請けのダンピングだったり、進まない違法コピー対策だったり、低俗で過激なものがウケると安易に手を出すプロデューサー・編集者の資質だったり、さまざまな関連があるのだけれども、4gamerでも書いたとおりチープなものでも話題性を求めてそれに飛びつくユーザーがマジョリティであれば市場も必然的にそれへ対応しなければならないということで、制作者に対して常に強いストレスがかかるのもまた事実なのです。

 だから、バブルという書き方はしたけれども、ナタデココとかたまごっちと同種同類のブームであって、あのときたまごっちのパチもんが大量に各社から出てみんな冷笑していたのと同じ光景がデジタルで行われているということにいかに早く気づくかだと思うんですよね。

 それでも喰えるというのは大事なので、きちんと環境に対応し続けるのはいいことだと思うわけですけれども。