日本証券業協会の面白規則変更に抗議の声が集まり、磯崎せんせや佐久間せんせなど、その道のプロの皆さんがブログなどで大反対し、twitterでも盛り上がっておりました。まあ、未公開株詐欺に引っかかる爺さん婆さんらをどうにかしようということで何となく加えておいた規制変更案だったそうですが、文字通り「泥棒が犯罪に使うので風呂敷は使用禁止とします」という類の話なのでしょうがないんですけどね。

個人から出資を受けたらIPOできなくなる日本証券業協会の規則変更に大反対します
http://www.tez.com/blog/archives/001648.html
個人から出資を受けたらIPOできなくなる規則変更にパブコメを書きました
http://www.tez.com/blog/archives/001650.html
日本証券業協会
http://hsakuma.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-50ea.html
 そういう話もあって、IPO界隈や起業とは何ぞやというような議論も日和見感染症のようにぼつぼつと話題に出始め、それはそれでいろんな仕事に対する取り組み方や経営論のようなものが垣間見えて面白いわけです。

起業家でい続けるために。ー小川浩( @ogawakazuhiro )
http://news.livedoor.com/article/detail/4860002/

 なんか、起業という単語に対してはみんな何かアツい。というか、暑い。会社を興して業を営むことって、そんなに特別なことなのかねえ。やりたいことがあって、それを実現するために独立したり私財を投じたり人を雇ったり、まあそりゃあ最初のうちは慣れないことばかりで、人が少ないうちは雑務も山ほどあって、納税の仕方から社会保険の出し方から様々あるのでしんどいのだけれど。

 夢を持って、起業に取り組み、社員を率いて会社を経営する、それは素晴らしいことだ。ただ、起業そのものは手段であるはずで、考えていることを実現するためのツールに過ぎない。自分のやりたいことを実現するためには会社でなければならないというわけでもないし、なにか起業に対して過大な期待と、起業をしていることに対する満足や優越感を持つ人も多いように思う。

 そりゃあ社長だって人間なのだから、仕事が上手くいって数千万数億数十億と利益が出れば嬉しいし、自分は商売の天才なのではないかと天狗になることだってあろうよ。信頼していた幹部が営業先や部下を引き連れて独立してしまって歯噛みすることだって、経営していればある。山があって、谷があるのは当たり前でね。

 私自身、自分で会社を興して14年、ファンド始めて9年経つけど、少なくとも、自分のケースでは起業というのはそんな踏ん張らなければできないような、特別なことではないだろうと思うし、そうであって欲しい。誰でも携わりたい仕事や実現したい計画があれば、すんなりと会社を持つことのできる世の中になったらどれだけいいかと感じる。それは、起業家たるべきと力みまくって夢を実現とか部下を率いるとか躍動感に溢れた語彙を並べずとも、自然に、会社を興しているという状況だ。

 余暇で会社から帰ってアフィブログ転がしてても、ヤフオクで転売厨やってても、合法である限りはすべては業であり、なりわいだ。iPhoneアプリ作っててもサンデー企画者でもいいから、何か事を為して人に喜ばれ対価をどうであれ得ていればそれは起業家だ。別段、特別な存在じゃない。

 起業を自己実現するための宗教のようなノリにしてしまう現状は、結局起業を志す人のハードルを上げまくっているのではないだろうか。私のように、人様の下で働く組織人に向いていないので業を興しましたという人だってたくさんいるだろうし、成功した人の中には就職口がなくてやむなく自力で会社を立ち上げたという人もいる。

 会社を興す、自分で仕事をする、ということが価値ある尊いものだとして、必ずしもAppleやGoogleを目指さなければならない理由はないし、上場を目指すだけがベンチャーのあり方でもなかろ。それなりに自己実現の方法が多様化している現在、ビジョンだ戦略だと打ち立てる方法論だけが起業のあり方じゃないように思うんだが、どうなんだろ。どうでもいいか。