死ぬとかじゃなくてさ。人として。このところ、結構頻繁に「昔、あんなに凄かったのに」とか「あの人のようになりたいと思って仕事してたのに」というケースが多くて。


 で、業界の重鎮になっちゃって本人の意図とは別の意味で改革や改善の邪魔になってしまったりとか、力の衰えを自覚して消え去ろうとしたりとか、さまざま。

 とりわけ、スコアが出る世界だとどうしてもそういう傾向が顕著で。本を書いている人なら売れている数だし、営業なら売上や利益の絶対額だし、経営者ならもうそのまんま。コンテンツだと売れた数や評判などにどうしても影響される。これはもう仕方のないことでね。

 で、いつか、人は競争の中に身を置くことを恐れるようになるわけだ。切磋琢磨をしなければならない領域から、一線置こうとする。競争している人に影響を与えようとしたり、管理して支配して全体を統括しようとしたりする。自分がまた表舞台に立つと、失敗したとき次がなくなるという恐怖感があるのかも知れん。

 当たり前のことだけど、50代、60代での浮き沈みというのはこれらのメカニズムと密接に関係している。現場で体力の限り働いていた人が、身体が動かなくなったとたん、環境や市場の変化に対応できなくなり、数字が出せなくなって、社会や会社や組織や業界で影響力を失う。

 でも力を喪失したくないので、実績を誇示したり、他の偉い人との関係を強化したり、うまく実績を挙げそうな若手を手懐けようとする。もうとっくにその人の判断とか能力ではいまの環境で通用しないはずなのに、何でか生き残ってたりするんだよね。人柄だったり、さまざまに。

 そう考えると、働く人間としての「終わり方」というのは難しい。実に難しい。鬱のクリエイターが自殺したりするのも、簡単に言えば内外のプレッシャーなんだろうが、最近は一種の美学の落としどころというか、自分自身の〆方なのかなとほんのり理解できるようになった。

 人生と競争とのバランスっていうのかなあ。働く人間としての「終わり方」ってのが仮に自分の20年後にやってきたとして、やっぱり自分も中堅連中に「早くあの時代遅れの老害どいてくれねえかな」とか思われるようになるんだろうか。