個人でも「医者嫌い」に分類される「どうしようもなくなってからでないと診断を受けたがらない人」がいるけど、会社とかでも「現金がなくなってから相談してくる企業」とか「絶対納品守れない状況になってから報告してくる下請け」とかがある。困る。困るので、「どうしようもなくなっても大丈夫な付き合い方をしよう」とか考える。あそこがコケても、少し頑張ればこういうリカバリーができる、というような、とても後ろ向きな将棋を指すわけで。
 一方で、土壇場でないと力を発揮しない人もいる。私もどっちかっていうとそっちのタイプだけど… でも、ここがギリギリという線を踏み越えてから対処するのはだいたいコストが上がってしまっているので、そうならないように予防線とか保険とかかけようとする。で、往々にして予防線は簡単に突破される。

 いつも予防線が突破されるので、いずれにせよ年がら年中修羅場になってるわけだが、修羅場をこなしているうちに、常在戦場みたいな組織が出来上がって、毎日ラットレースをしている敗戦処理のエキスパート軍団ができちゃう。戦況だけ見ると実に見事に負けてるんだけど、担当した局地戦だけはどうにかなっちゃってるというような。

 そういう組織は、人が内部から壊れていく。鬱になったり、病気になったりする。まあ、発展性のない業務に長時間据えられて、強いストレスに晒されながら安い給料で働くわけだからねえ。一個一個のデスマーチは、マーチである限り終わりはあるわけだけど、デスマーチは仕事の様態ではなく企業の仕事のとり方に起因するから、その業界や企業や経営者の考えが変わらない限りチェーン状に無限連鎖になってる。

 だから、生き残れるのはその仕事が好きな人、精神的にタフな人ばかりになって、そういう人は自分ができている、乗り越えているので、部下や下請けにもそういう状態を強いる。求める。駄目な奴は要らない、となる。修羅場に臆しない良い戦士は、必ずしも良い将軍、良い指揮官ではないのだ。

 いつまでも会社が苦しいのは、どうしようもならなくなる前に、どうにかするには何を為すべきか、きちんと考えることだと思うんだよね。どうにもならなくなって増資、駄目になりそうだから借入を繰り返していても、いずれは疲れ果てた最後にすべてを失う羽目になる。博打の場に座っていたいがために、勝ち目のない勝負にチップを張り続けるみたいな。

 まあ、しょうがないんだけどさ。結果的とはいえ、不義理を重ねたり、度重なる身売りをしたり、という話を聞くと、会社そのものよりそこで働いてる人たちはそれでいいのかと思っちゃったりして。