一連の議論を読んでて、暴走するインターネット(by 鈴木謙介)とか動物化するポストモダン(by 東浩紀)とかを思い出した。特に理由はない。でも何となくもじってエントリータイトルにしてみた。異論は認めない。

暴走するインターネット
http://www.amazon.co.jp/dp/4872573021
動物化するポストモダン
http://www.amazon.co.jp/dp/4061495755

 先日、チラっと実名匿名論争で勝間女史の議論を斜め読みしたけど、結構マトモなことを書いていたような気もするが、ネットで「お前が実名じゃないのでは」という野次が出ていたのを知って「戸籍上の名前です」とtwitter上で反論していた。煽られ弱そうな感じもするけど、ぜひ引き続き頑張っていただきたい。
 その勝間和代女史が、国家戦略室で「デフレを止めろ」的なことを言ったのを知った池田信夫氏が、嫉妬を爆発させて面白エントリーをアップしたりして波紋が広がっている。

国家戦略室への提言「まず、デフレを止めよう~若年失業と財政再建の問題解決に向けて」
http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/private/2009/11/post-288b.html
まず、デフレを止めよう
http://www.katsumaweb.com/market_eye_mtg.pdf
勝間和代氏のためのマクロ経済学入門
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51307531.html

 政権の人気取りと、やることの少ない国家戦略局が仕事してますよアピールを兼ねてマスコミネタになる仕掛けをしたに過ぎないと思うのだが、そういう瑣末な餌でいちいち釣り上げられる池田信夫氏も素敵だし、釣られ方も入れ食い式でウケる。ある特定の学派に則った議論を財政担当大臣にレクったとかならともかく、菅直人さんに言いに逝っただけなのだから放置しておけばいいのに。固定相場を導入しようとか、政策論としてはいいけど菅直人に言ってどうすんだよという内容で勝間女史も手づかみでクソを投げたわけだから、それに対する池田氏のあるべき態度は「何でクソを投げてるの?」と怒ることではないような気もするのだが。

 勝間和代バブルは潰すべき、という話のようで、池田信夫氏がどこまで本気で書いているのかも分からんところだけど、個人的には凄まじい暴言大会がネット上で繰り広げられ双方クソまみれに発展した挙句衆人環視の中で共倒れ希望です。

 一方で、田中秀臣先生も反応されている。言いたいことは分かるが、個人的には、人を見て法を説けとしか言えない。一つの学派として、有力者にプレゼンしましたという意味合い以上に、万一勝間和代女史に何事かあったら、その主張をしていたグループ自体も傷つく可能性があり、社会的なコンセンサスがさらに取りづらくなる。そのまま勝間女史が民主党に取り込まれ、彼女自身もバッジをつけるなり、都知事選に出るなどして民主党の経済・金融政策に影響力を与えられる立場まで成り上がれれば凄くいいのだが、その道のりは極めて遠く厳しいと思わざるを得ない。そうなったとして、彼女に仕えて仕事をすることになる官僚や彼女のためにメディアコントロールをしなければならない官房は大変すぎる。

[経済]勝間和代さんのデフレとの闘い
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20091106#p4

 ついでに、勝間女史が例によって「結婚のすすめ 35歳限界説」というのを掲載していて興味深い。結婚できなくて35歳を踏み越えた女性どもが総員敵に回りかねない議論であるにもかかわらず、中央突破で論陣を組む勝間女史は素敵だ。自分の経験と少ない身の回りのサンプルだけでここまで議論を断定できるとは。当然、反論や批判もたくさん出る。

結婚のすすめ 35歳限界説
http://morningmanga.com/katsuma/091105.html
【勝間和代】35歳独身限界説批判〜結婚しなくいい、同棲しろ〜 - 隠フェミニスト記(仮)
http://d.hatena.ne.jp/nagano_haru/20091106/1257483361
[性][労働]勝間和代と上野千鶴子
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20091106/1257502918

 個人的には、こういう話題の巻き上げ方というのは「私の言うことはこれこれであるがゆえに正しい」と常に断定して議論をリードできる女性のポジションを勝間女史がきっちり確保したからできるのだろうと思う。というか、論拠はオカルトか極近しい自分の周辺での出来事かの違いはあるが、細木数子がメディア的に占めてきた椅子を勝間和代女史が座った形じゃないかと。

 池田信夫氏がいうような、いまが「勝間和代バブル」と題されるべきものなのかは分からない。ただ、議論の方向性は何となく見える。社会が安定感を失い閉塞した状況になると、新興宗教やファシストが跋扈するシチュエーションと比するべきなのか、むしろ勝間和代女史の言うようにいまこそ自立した個人による成熟した社会を目指すスタイルが好ましいと考えるべきなのかは議論が分かれる。

 ただ、勝間女史は堀江貴文と同じように、世論で風を作る力は兼ね備えているように見えるんだよね。あれだけ派手に議論ができている間は、まだまだ飽きられないだろう。いろんな意味で、引き続き注目していきたいと思います。