取りまとめなど一人でやる仕事って、土曜日が一番はかどる。連絡をすることもされることもなく、考えることに没頭できるから。
 仕事を進める上で、とりわけ多くの人が関わる事案というのは、仕切る際に結構進め方にコツのようなものがある。これが分からないと厳しいと思うのだが、実際にはあまりそういうのに無頓着で、ただ単に金が儲かればいいとか、サービスが期日どおりリリースできればいいと考えるマネージャーも多くて困る。自分のことを棚に上げていうけどさ。

 でも、立場も役割も機能も違う人たちを集めて、何がしかの結果を出さなければならない仕事というのは実に多い。取りまとめる際に、利害は対立するし、共通の認識は違うし、問題に対する考え方も違う。これはしょうがないのだけれども、そこにプロジェクトがあって、人が集うからには方法論をある程度ノウハウ化しておかないと話を進められないと思うんだけどね。

 ちなみに、私がそういう事案に直面した際に心がけていることというのがあって、だいたいが「自分の役割が契約上決まったら、それに関わる自分の意志や希望はとりあえず置いといて、結果が最適であれば良い」というやり方をする。無私に徹したときに、どっちかというと成功しやすいんだと思う。それが、たとえ関係者が物欲の塊であったとしても。

 段取りとか。

・ 起きている問題の全容を把握する
・ 問題解決のための方針を決める
・ 方針に基づいて、何が重要で、どう物事に優先順位をつけるかを決める
・ 関係者個別に告知する
・ 協力を取り付ける or 協力しなかった場合、その方面に何が起きるかを示唆する
・ 関係者を一同会わせて衆知する

 物事の解決で、方針が決まらないことほどグダグダになることはない。どうであれ結論を出しましょうという流れになるのは、放っておいて時間が解決しない場合である。だから、どういう結論を出すべきなのかという方針が決まらないと、立場の違う人たちの意識を全体の利益に繋がるように導くことが出来ない。

 方針が決まれば、何を優先するべきかの順番が決まる。ここで関係者が文句を言いそうだったらやり直さざるを得ない場合もある。でも、方針に反対することは、その関係者は解決にコミットしない立場、すなわち敵性認定をするのだから、逆に誰が味方であり、誰を説得するべきかが明確に分かる場合がある。

 おおっぴらに方針を伝えても、責任が分散してしまい、仕事をきちんとやり遂げないリスクも発生しうる。取りまとめ役が中心になって、個別具体的にレクして理解してもらう過程というのはどうしても必要。そのときに立場の違いや利得や意志が明確に伝わってきて、個別に「握る」ことだってありえる。味方のはずが敵だった、ということもここで何となく分かり始める。

 だから、協力を取り付ける過程というのはコミットを宣言させることを意味し、相手の考えが固まっているのか、どこまで履行してもらえそうかというのは取りまとめ役の重要な目利きになってくる。ここが狂うと目的を達成するためのパーツが揃わないとかザラに起きる。そうすると全体が困る。だから、協力をしてもらうための動機やコストや意志といったものの最終的な確認作業もここでやらないと後で揉める。

 最後に、全体での取りまとめをして、方針が策定されたことを全員で合意しコミットが確定する。ここで破ったら、恥をかくのはその関係者だ… といいたいところだけど、一番恥ずかしいのは中心になって取りまとめた人。お前、そこで握れてなかったの、という話になって信頼を失うこともある。一番つらいところだけど、これが要なのだから仕方がない。こういうことをしっかりやっておかないと、横から来た人に話を持っていかれることにもなりうる。

 結構大事なのは、関係者が、個別に直面している問題を、こう行動したら、こう解決するのだ、という完成図のイメージをしっかり伝えることなんだろうと思う。私たちと一緒にこういうコミットをすれば、貴方たちにこういうメリットがありますよ、または、私たちの話に乗らなければ基本的にこういうリスクが貴方がたにありますよと、そういう話を、どこまで相手方の立場に立ってイメージできているかという、そういう部分。

 投資運用でもコンテンツ開発でも事業プロジェクトでも、基本はそれほど変わらない。というか、どうやら変わらないようだ。考える際に重要なのは、全ての要素はトレードオフである、ということ。予算を守ろうと思ったら品質を犠牲にしなければならないとか、ある会社の権益を守らなければならないのなら別の関係者の利益は喪失する可能性がある、ということ。当然、win-winの関係になるのがベストではあるけれども、調整ごとというのは必ずしもそう単純な図式では回らない。誰かに泣いてもらわなければならない、それどころか、関係者全員が泣く話だって起き得る。

 その場合にどうしても必要なのは、方針であり、方針に基づいた大義名分と、それに対する相手のコミットであって、そのための手段はたくさんある。交渉なのか紛争なのか、それはあまり重要なことじゃない。大事なのは、問題が解決すれば、こういうメリットが加担した人たちに与えられるのだ、というところまで、しっかり結論を出すということだ。

 とりわけ、敗戦処理とか修羅場というものは、方針が決まってしまえば誰を泣かせるか、その人を泣かせるためにほかの人がいかに結託するか、という図式に持ち込めればスムーズに話が進むこともまた多いのである。その場合、相手がコワモテだからとか、何をするか分からない人たちだからというのはあまり制限にならない。それを上回る面倒くささをこちらが兼ね備えていればいいからだ。

 私自身が年齢の割りに変な経験をたくさんしてきたからかもしれないけど、それなりに功成り名を遂げた人なのに、何かを捨てるたり片付けたりということが向いてなくて問題をこじらせる人がたくさんいるのは残念なことだと思う。ここで大将が撤退しても悪く言う人はいないから。あんた良く頑張ったよ。ということも多いんだけどねえ。

 だから、違法でない限り、リストラだ縮小だは嫌だ、相手の軍門に下るのはよしとしない、あいつの助けは借りずに自力で再起する、というのは、まあ人間として自然であるし、そうであるのはベストだと思うけれども、無理なものは無理なんだから、捨てるものは捨てて、またやり直して成功すればいいじゃないかと私なんかは思う。プライドが高くたって、人様からの信頼を全てを失ったら可能性も資金も本当に何もなくなるじゃないか。

 頭がいいとか悪いとかじゃなく、事実を見据えて調整を進めて方針に基づいて進んでいく、これだけが「自分だけでは何も出来ない人」の生き方だと私は思っております。いや、私一人で何かできるわけじゃないですから。