リスク管理の観点から、悪の組織におけるソーシャルリスクに対する脆弱性が指摘されているが、基本的にはディシジョンツリーから考えるにそれほどの問題は感じられない。

 むしろ、結論としては作戦面の問題であり、ボスを倒しにきた最強に強まった勇者がダンジョン中雑魚敵と戦っている最中にそこんとこだけダンジョンが自爆すべきであり、ボスが斃されるリスクを極限まで高めた状態に陥る戦術ミスのほうが悪の組織を叱責すべき要素だと思う。

世の中にはボスを倒されると丸ごと崩壊する基地やダンジョンが多すぐる
http://mubou.seesaa.net/article/129251123.html
[引用]拠点の破壊が意図的(拠点設営時に「自爆」が機能として考慮されているような場合)なものである場合。そもそもヤバくなったら破壊しなければならないような拠点を作ることに問題がある。

 これは、すでに論じたとおり、勇者がボスとまみえている危地に陥る前に対処すべきであるが、ボス陥落後の自爆の目的が証拠の隠蔽や身元を示す物件の抹消、行きつけのバーのツケなどの大量の支払いから逃れるなど合理的とされる内容も多いため、一概に自爆機能そのものがリスク対策として稚拙であるとは言い切れない。

[引用]占領されて再利用されるとヤヴァいような施設なら、最初っから明確な行動目標になるようなところに設置してはいけない。大本営と同居させるなど無用心としかいいようがない。

 核兵器など大量殺戮の可能性のある兵器を勇者が持ち、それが自在に扱える社会的、能力的な条件が揃っている(核兵器を落としても、人権派の町の住民が怒って宿に泊めてやらないなどの迫害を受けない、など)場合は、重要拠点の拡散は必要と考えられる。

 一方、小火器や刀剣など破壊力の乏しい兵器を操る程度の戦力の勇者が敵である場合は、基本的に物量が有効であり、戦力の集中の原則から、親衛隊を軸とした防衛体制をとること自体に不自然は感じず、むしろ合目的的であり合理性は担保されていると言える。

[引用]相手の手に渡ると困るような文書や資材は緊急時には焼却・破壊の準備をしておかなくてはいけない。拠点ごと破壊とか不確実極まる。

 焼却・破壊の準備をするより、ガセ情報の流布やダミー物件の設置など、真偽が判然としない物件を用意しておくほうが本来は合理的である。往々にして勇者やその周辺の人々は、敵から出た情報を信じすぎる傾向が強い。で、その情報があまりにも正確で、世界の真理や真の悪党の存在を辿る道筋に直結している。こちらのほうが問題である。

[引用]実際RPGとかのシリーズものだと前作ラストで埋もれたと思われていた武器が発掘されまくりですよ。迷惑だと思わないんですか!(竜王さん談)

 発掘されなければシリーズものにならんじゃないですか。むしろ、死んだはずの悪党が健康に復活というのが問題なようには思う。

[引用]そもそもラスボスが倒されるくらいで拠点を破壊しなくてはいけない程追い詰められる組織というのは組織としてどうなのか。緊急時の意志決定機関くらい決めておきなさい。

 合議制を取る悪の組織は、合議に参加する各員も情報に接する機会を増やし、結果として組織全体の情報が広く漏洩するリスクもまた有する。昔気質のマフィアでもボスを頂点とするピラミッド形式で組織を運営していたことを考えると、ある種の組織防衛上の合理性はあると考えられる。

 加えて、ボスが何らかの目的を持って組成した組織であるわけで、そのボスが死んでしまえば組織が自壊するのも自然だ。

[引用]機能分散、ディザスターリカバリー、緊急時対応のマニュアル化など、処理しなくてはいけない課題が山積みである。

 中央集権の組織など、ある意味で封建的な中小企業のようなものである。戦闘に強い、営業に強い部下はいたとしても、スタッフ部門が充実している可能性は低いのは仕方がない。

[引用]自爆機能の誤動作のリスクはきちんと考えてあるのだろうか。

 ボスが自爆機能の誤作動で野望ごと木っ端微塵になったというニュースを聴いたことがない。新幹線なみの安全神話に守られているのがボスのいるダンジョンの自爆機能である。

 そこは能力的に高い信頼と実績の施工業者が建設を担当しているからあれだけの充実した設備を持った巨大な構築物を建造できたと考えるのが自然だ。そもそも、勇者だけがひっかかるトラップや地形を作り、それらを確実に作動させることのできる粋を極めた建築技術は筆舌に尽くしがたいものがあり、地震大国たる我が国も膝を屈しこれに学ばねばならない。

[引用]拠点の破壊が意図的でない(ラスボスの力でダンジョンが維持されているとか)ものである場合。意図せずして破壊され得る施設を本拠地にするとか、率直にいって正気の沙汰ではない。

 住めば都である。常に大地震リスクを一身に背負って日々暮らしている静岡県民も、拠点の破壊は意図的ではなく自然の摂理によるものである。かかる議論は地震における静岡県民や台風における高知県民の宿命を軽視するもの以外の何者でもない。

[引用]ラスボスが急病でぽっくりいっちゃったりしたら部下の人々は一体どうするのか。いしゃをーー!いしゃをよべーーー!!!

 虎は死して皮を残すのと同様、ボスは死んでも部下の心の中で生き続けるのである。

 しかし、ラスボスの周辺には姦計に長けた知恵者ナンバー2が組織を取り仕切っていることも多く、ラスボスの死を五年秘して実験を握り世界征服の野望に胸を滾らせていることも想像にかたくない。また、ラスボスの後に出てくる真のラスボスや裏のラスボスも同じような構造で成立していると思われる。

[引用]ラスボスの権能が冗長化されていない時点で組織としてどうなのか。再起を図れ、再起を。

 何らか事情があって再起した結果がラスボスになっている場合もあり、油断できない。組織の問題はラスボスの統率力や人望というよりは無駄に強い戦闘力や存在としての格の違い(人間と蟻の構造)に依拠しているものと思われ、そのラスボスが何らか不予を強いられた場合には組織が瓦解するのも必然と思われる。

 なお、ラスボスが再起をしたい場合には、なるだけシリーズ次回作で、というのが前例である。シリーズ次回作が制作されなかったり次回作で回顧もされない作品では、その原因がラスボスを倒すに至るストーリー性が国家国民に響かなかったという意味でもあるため、それは再起に失敗した、と定義されるべきだろう。

[引用]けど勇者の人とか実は基本MINAGOROSHIだから悪の組織の人も大変ですよね。お疲れ様です。

 悪としての力を極めたラスボスを倒しに逝くのが勇者であるから、そのラスボスを悪の面で充分に上回ってこその勇者であり、歴史は勝者によって作られるものであるから、その勝者のストーリーテリングを作品化したRPGは勇者の非道で無残な虐殺も常に正当化される筋合いのものである。

 つまり、プレイヤーが手がける戦闘や経験値稼ぎやアイテム集めは、大概のケースは変数としての敵を駆除することによって成り立っており、これは効率よく思想や組織背景の相反する相手を虐殺するためのプロセスそのものである。