ちと公私ともに激動でありアレな感じですけれども、元気にやっております。
 で、表題の件、卑近な例で言うと、私達はだいたいにおいて高卒以上です。中卒の人、ごめんなさい。高校では数学を習っているはずで、高校を卒業しているということは、どうであれ数学を修了しているはずですよね。

 ところが、数学的にこうである、という説明申し上げてもまったく理解できない人が出る。下手をすると、算数のレベルで、あれとこれとそれを合わせると、こうなりますよね、と懇切丁寧にお話差し上げて、なお「いや、でも」とご反論を賜るケースが出ます。物理的にそうなってんだよ。お前の感想が事実に反してて間違ってんだよ馬鹿。そういう意味も含まれますが、足し算をすれば誰が考えてもそういう結論に至る話に過ぎないのに、なぜか論戦になるのが困りものです。

 さらに問題になるケースがありまして、これは学識経験者といわれる人々であります。もちろん、立派な人々はとても多いです。加えて、知的に誠実な人の割合もやはり多くあります。その意味では、お話をするにあたって非常に進めやすいこともまた多いものでございます。

 とはいえ、そういう各界の学識経験者の皆様が集まりまして、物事を決めようといたしますとこれがまたなかなか決まらない。というか、決まらないことを楽しんでおられるかのような事態に陥るわけですけれども、物事を要素分けしつつ諸事解決に導こうとすればするほど、要素各分野の専門家の皆様が、ご自身の専門分野の事案が全体において「重要だ」と主張して憚られないわけです。

 しまいには、ご自身の専門以外のところで他人の専門分野より私の専門のほうが重要だ、というお話をされるにいたるのですけれども、これがまた素人目から見てもイタイ指摘をされる機会がございます。何というか、ご自身の専門にあってはあれほど理路整然と素晴らしい論旨で議論をリードされながら、他人の土俵でも知的水準が通用すると確信したうえで自説を述べまくるものだから、取りまとめている側からしますと悶絶するほどクソのような議論を自信満々に述べられ、議場がどっちらけになります。お前は自分の世界のことだけ語ってろとつい口を出したくなるのですが、それが禁忌である場であったりするとなおさらストレスが溜まります。

 ドラッカーではないですけれども、いまの私達の社会は知的労働が主軸となる情報化社会の中にあり、専門とすべき情報は分断され深化している状況であり、隣の分野と思っていた事案でもなかなか勝手が違っていることもままあります。公共政策学と経済政策とは別物になっておりますし、経済政策でも内需を考える識者と貿易を見ている識者と金融を生業とする識者では「経済」というものの考え方は違います。

 昔は、近所の人々の病気を診てくれるよろず町医者のようなものがあり、内科から小児科から耳鼻咽喉科まで、あらゆるものを対応してくれた牧歌的な時代がありました。こんにちの医療体制は、どこが悪いか患者が具体的に理解して大学病院など各種専門家が揃う大病院にかからねばヘルスチェックもしづらい状況にあります。それらの専門性とは独立したもので、一通り知っているはずなんだけれどもいざ畑違いのものを触るととんでもないことになりリスクがあるため、なるだけ手がけないでおこう、というのが情報化社会・知識社会のジレンマなのかもしれません。

 なかなか困った会合になり上記のような考察にたどり着いたわけですけれども、後日、それらの専門知識に対する誠実さよりも、イデオロギーが優先する人々が集う場に呼ばれていまして、どうなることやらと思います。

 どうかよろしくお願い申し上げます。