また読む人を選ぶ記事になってしまうかな。でも、この手の能動アンケートで、ニコニコ動画では一貫して自民党支持であり続けるのもまた特徴的なわけで。

ニコニコ動画世論調査、都議選「投票に行く」66%、自民支持がトップ
http://www.nikkeibp.co.jp/article/news/20090626/163390/

 ネット社会においては、最近は使われなくなった言葉「ネット右翼」でも代弁されるように民族右派的な発言が多く、かつ、経済的には規制に反対のリバータリアン的な立場を取るものが支持を集めやすい。で、民主党執行部の左派的な言動は民主党の親米「ポチ」と比べてもネットからの支持を得にくく、結果として総体として「ネットは自民支持が多数」という結果になるのだろう。この前まで、腰を悪くしていて寝てた同期とその辺のことは本に書こうとは思っておるけれども、結構実証できるレベルにまで来たんじゃないか、というのが率直な印象。

 で、当然それはバイアスであるから、サンプルの偏りですねということで、本来は話は終わる。要は、岩手で政党支持率を調べると、ずっと小沢さんのいた政党が上位に来るのと同じで、そういう土地柄なのだから、仕方がないだろうということで。

 ところが、ネットに関して言うと、別にネット社会の利害を代弁してくれる代議士というのが具体的にいるわけではない。一部の政治家がネットでの印象や書き込みを気にして、ネット監視会社に風評チェックを依頼することはあっても、または抱えている事案についてネット社会ではどのような議論になっているのか関心を持つことはあっても、名前を出して具体的に肩を持って「ネット社会は私が政治的・社会的利害を守ります」と宣言する政治家が出ることはない。

 これ、かなり不思議なことで、ここまで個別具体的に支持政党があり、論調についてシンパシーを持つ政治思想が判明している土壌であるにもかかわらず、オルグとまでは言わずとも票田の一部にしてみよう的な政治家がチルドレンにいたるまで一人も(自主的に)出なかった、というのは異様である。ネットに対する関心は高くても、ネットにいる国民、有権者に対して自分の支持を積極的に呼びかけようという動きは、今回の選挙にあっても最期まで出ることはなかった。

 公職選挙法におけるネット活動が解禁になるかどうかというレベルではなく、政治家個人個人がネットに参入することを根本的に忌避していることもあり、結果として政党本部がネットを使ったイメージ戦略ということで、もっと大枠で関与しようとすることも特徴的である。各政党の青年部が自宅などでせっせと自党に有利な書き込みをする活動を地道に続けているが、成果に繋がったという話もあまり耳にしないのもそうだ。結局、ネットは時事ニュースに対して脊髄反射的に評価を輻輳させる装置として以上の価値を政治的に見てもらえていないということになるのだろうか。

 では、今回はともかく次回、さらに次々回の選挙で少しづつでもこの辺の融和が進むんだろうか? という問いがあるのだが、例えばアメリカのようにブロガージャーナリストが選挙活動に随伴するとか、あるいは逆に韓国のようにネットで横のつながりを持ったネットワーカーが落選運動を特定の議員に対してやり始めるといった、プラスの動きもマイナスの働きもいまのところ日本の政治におけるネットでは起きていない。これは特筆すべき点である。むしろ、ネットを積極的に活用しているのは、政党から委託を受けてプロモーション戦略を練る広告代理店たちであったり、自社の記事の影響力がネットで増幅されるのを知って、わざとネットに観測記事を流して議題設定能力の補強を図る新聞社政治部の記者たちであったりする。そこにはネットにデフォルトで時間を使うネットワーカーの姿が一人たりとも見えないのが日本政治におけるネットの特徴だ。

 明日あさって、例えば津田大介氏が自分の野望に忠実な決断を下し、ネットの人たちの意見を代弁して国政に出ますと言ったら、どれだけの支持を集めうるか。あるいは、池田信夫氏が、アゴラでの活動で信者に煽られ国政に打って出る行為を画策したとして、どれだけの資金をネットで集めうるか。これまた、相当悲観的な状況でもある。つまり、「ネット」と一口に言っても、さまざまな意見の緩やかな連合体であり、具体的な政治については強制力も参画する能力も持たないがゆえに政治的に無力であり、そこから国政に出うる人材が(少なくとも現段階では)輩出されないのは票や資金が生める素地があまりにも少ないからだ。

 現実には、ネットはそろそろ自由な言論を保障するプラットフォームという幻想から覚めつつあり、むしろ規制の強化の矛先として、現実社会に組み入れられようとしているのが現状だ。別にエロゲ規制でもP2P帯域規制でも著作権法改正でも何でもいいが、本来ならネットユーザーの活動や生活のクオリティが、根本的なレベルで問われるはずの規制においてすら、ネットから声を上げて政党なり特定官庁なりに具体的な意見具申があったというような話は聴かない。携帯電話の料金は? NTTの光回線は? NTT再再編は? といったインフラ直結のものから、コンテンツ立国みたいなお題目による「上モノ」の出口政策にいたるまで、本来はネットユーザーの生活が大きく依存する先の事柄について、話が決まってからネットに流され、もう動きようがなくなってから議論が始まる、というのが現実なのだろう。

 恐らく、ニコニコ的な民主主義、あるいは2ちゃんねる的と言い換えても良い、本来なら利害得失が一致しているように見えるはずのネット住民は、適切に政治的な発言すべき議題を投じられないために、日々流される報道や情報にひとつひとつ脊髄反射し、二週間も経つと新しい事件に話題を攫われ、何の議論の成果も出さぬまま、日々を情報の収集と咀嚼に追い立てられ続けているように見える、という現実がある。結果として、コピペサイトで面白い発言が次々と取り上げられ、愉快なコンテンツがネット上に量産されるけど、社会的には負け続けている形となる。

 これで消費者庁とか出来ちゃうのがちゃんちゃらおかしいのだが、受け取る側の個別の消費者としての国民、この場合はネットワーカーも相当政治的発言の機会を逸している。ネットと社会に関する研究がこれだけ進んできたにもかかわらず、何の改善もされず、このまま逝くと普通の現実社会のルールの延長線上でネットのルールも決められ、大して面白くない現実社会と同じ風景のネット社会へと揺り戻されることとなる。人間関係がはっきりした息苦しかったころのmixiみたいなネット社会になってしまうのだろうか。

 梅田望夫氏が言いたかった、ハイエンドな議論の飛び交うネットというのは、そういうことだったわけだろ。本来なら、残念と切り捨てたい相手こそが、対話し気づいてもらうべき相手だったわけだよ… 残念だが、それが現実なんだ。