騒ぎになっているらしいので見物に逝った。いろいろあるけど、バレンタイン監督側を支える人たちの言い分な。

ボビーバレンタイン監督2010年以降の残留を求める署名のお願い
http://marinesv.temporarydomain.net/shomei_onegai.pdf
ロッテ大丈夫? 占い師の顔を持つ女性球団幹部がやりたい放題、監督の批判記事を要求
http://www.zakzak.co.jp/spo/200904/s2009040926_all.html

 まあ、私が連載していた某週刊誌で「千葉ロッテを牛耳る豪腕KY女帝の正体見たり 『3年後は球団社長になる』のブログ発煙に抗議の横断幕でファン大暴動」という記事があってねえ。ええ。記事の内容は、まあ検索してね。
 で、スワローズファンのわたくしとしては遠巻きに見ているだけなのだが、肝心のロッテフロントの問題については続報が出てこなくなった。話が落ち着いてしまったのかもしれない。で、議論が散逸していたので重要そうに外部から見える部分だけまとめなおしてみる。

 結論から言うと、千葉ロッテの問題は、球団フロントのお家騒動のタイミングに千葉県との話やバレンタイン監督の契約継続問題が重なって、ゴタゴタしているので分かりにくいのだが、パリーグとスワローズを愛する私としては、本件の解決のためには初芝清の監督就任以外の妙手はないと思うのである。以下、各論。

○ ロッテ・フロントの人事抗争など、問題勃発の経緯

 スポーツ紙の記者も代理店の人も口を揃えて「ロッテが”また”内部紛争起こしてる」という言い方だったので、発生しているのは事実だろう。問題は業績不振と業務方針の不徹底だそうだが、まあその程度のことは一般企業だろうとちょんころ企業だろうと起き得るよね。

 では何でスキャンダルみたいになったの? と言われると、諸説ある。ボビーがMVPなる千葉ロッテ応援団の人たちとコンタクトを取って夕刊紙に記事にさせた(上記)とか、追放されるように退職した元社員がそれに同情的な現役社員から情報を貰ってネットにばら撒いたとか、いろいろ風評が出る。

 ただ、一昨年ぐらいからの話で、浦和の二軍施設の千葉移転に絡み、千葉県から良い条件を出されていたのが覆されたことで千葉ロッテ球団と千葉県が軽く揉めて、逆に球団自体が松山に移転を検討し始めることで千葉県に牽制しようとしたら、ボビー問題という全然違う方向に火がついてしまった、という説があり、大変興味深い。先日、その辺に詳しい御仁がプロ野球ナイトに逝くというので同席しようとしたけど、私の仕事が忙しくて顔を出せず確認できずじまい。残念。

○ バレンタイン監督退任の件

 バレンタイン監督も千葉ロッテフロントと揉めていてどうのこうのという話。退任はそもそも規定路線で、バレンタイン監督は結構前からメジャーで監督職を去年探した経緯があったが、これがうまくいかず、残留含みで去年ロッテと交渉したが決裂、という話であるらしい。

 それだけ聞けば、ロッテは普通に仕事をしているだけで、結果を出せないバレンタインが悪いという話になるのだが、バレンタインの代理人だかにロッテのフロントが「できれば早くやめて欲しい」と言ったとか言わないとか。そりゃ揉めるよな。もうお家芸なのかもしれないが、阪神とロッテの交渉役は本当に余計なことを言う。

 バレンタインもユニークな監督で人気もあるし、優勝実績もあるのだが、選手起用の腰が据わらず、さすがに勤続6年だかになるとなかなかむつかしいところはあるのかも知れん。給料、高いしなあ。

○ MVPという応援団の件

 千葉ロッテといえば応援、応援といえば千葉ロッテといわれるほど、声量の大きい団結力ある組織応援で定評がある千葉ロッテなのだが、というか応援という意味では東京ヤクルトに劣るものはないと思うが、ボビーから近づいたのかどうか不明ながら千葉ロッテの球団フロントの内紛に乗じて、バレンタイン監督留任をファン側から球団に圧力をかけるという活動で物議を醸している。

 さすがに暴力団はいない(と思いたい)が、フロント人事に力強く応援団が介入している記事とか見ると、これは何だろうと思う。ロッテ本社としては、20億以上も年間資金を注ぎ込んで、ファンからフロント人事で罵倒されていたのではたまらないだろう。

http://ameblo.jp/mvp-ishida/

 で、良く見るとボビー2010運動をしている応援団のサイト、球団公認の応援団登録をしていないような。どちらかというと勝手連な存在なのか? てっきり、マリーンズの公認応援団が、一致団結してボビーを支持しているという不思議な事態なのかと思ったが…。無関係の私からすると構造が最初良く分からんかった。

○ 問題を起こさない人事の件

 いまの流れで逝くと、どうであれボビーは監督留任しないだろう。いいキャラクターかもしれないが、成績はイマイチだし年俸は高い。やはり、ここはタイトルホルダーとして実績のある生え抜きOBで、外からも野球を見てきた人物が監督になり、ロッテを一から改革するべきだと思う。

初芝清
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E8%8A%9D%E6%B8%85
初芝の思い出
http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2005/09/19_184731.html

 やっぱり、本当に私達が見たいのは初芝ジャパンなんだよね。投手コーチは園川、エースは檻・中山。次のWBCでは世界の初芝がついにベールを脱ぐ風の、さ。

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2005年09月19日 18時47分
初芝の思い出
 初めて初芝を見たのは川崎球場だったか。南海戦。山内孝の外側のボールを打たされて詰まったライトフライが、そのまま風に煽られてスタンドイン。数えるしかいない客が、ゆっくりとダイヤモンドを回る初芝に爆笑を浴びせている光景が忘れられない。


 後日、西武戦を観にいったとき、ロッテが終盤追い上げ一点ビハインドの九回裏。四球二つとヒットでノーアウト満塁のチャンス。またしても客は数えるほどしかいない。しかし、期待を胸に見守る先は、途中出場のセカンド堀。


 堀は初球を打ち上げてショートへの見事なポップフライ。しかし、続くバッターは初芝である。敢然とバッターボックスに向かう初芝を見守りながらも、ヒットならサヨナラの場面なのに「大丈夫か、初芝」という空気だけが球場に流れた。


 またも初球。内角の変化球らしきボールをバッチリ引っ掛けて、芸術的なショートゴロ併殺打。九回裏、ノーアウト満塁という絶好のチャンスを二球で灰燼に帰さしめた堀、そして初芝の偉業は、いつまでも私の心の中に残った。


 初芝といえばロッテ、ロッテといえば初芝というぐらいに、いや、私たちの年代のパリーグファンにとって、パリーグを代表する打者といえばやはり初芝だったのである。よく分からないうちに打点王になったり、千葉マリンスタジアムに移動してマリーンズに模様替えしたが、初芝はずっと初芝であった。


 初芝を初芝たらしめていたものは、数字に表れない非科学的な何かである。様式美といっていい。サードの守備位置についても、ボールを取りに行く気配を見せない揺るがぬ態度。プロは華麗な動きを見せて金を取るといわれるが、初芝が求めたものは、動かずとも魅せるプレー、つまりそこにある時点で得られるプライスレスな存在感だ。千葉ロッテの現在の興隆も、一部で発生している熱狂的なファンも、すべての原点はこの初芝的な何かなのである。


 漏れ伝わるロッテ内の空気、例えばキャンプ中に練習メニューが張り出された横に「デブは二倍」と書かれるネタひとつひとつが、初芝の神格化を惹起するのだ。さらには、和歌山県の初芝橋本高校が甲子園に進出したとき、捕手・橋本と初芝橋本高校に差し入れをするなどの逸話にも事欠かない。世には、名著『クロマティ高校』に激怒するクロマティさんも存在するのに、唯一無二の存在である初芝の、その懐の何と深いことか。


 そして、初芝の真髄は打撃、守備、そして走塁とすべてにわたって高いレベルでまとまった究極の完成度にある。人間の目は、完璧な真円の玉を見ると無条件に美しいと感じるらしいが、初芝の場合はベンチに座っていても輝いているように見えてしまう。別に福浦のように頭が薄いわけでもないにもかかわらず。小坂がタイムリーを打ってベンチで祝福に迎えられる最後に、なぜか意味もなく初芝と抱き合って喜ぶシーンが放送されたりする。さらにそういう試合に限って大抵負けている。小坂といえば、サード初芝のお陰でその広い守備範囲と捕球能力を極限まで引き出された名ショートであり、黄金の三遊間を形成したが、最近の小坂を見ると、やはり初芝あっての小坂であったと考えざるを得ない。


 しかも、初芝はかつて「僕は守備には一家言ある」とBSの番組で言い放ち、物議を醸した。そこに湧き上がる感情は「お前が言うな」とか「寝言は寝て言え」とかいうネガティブなものでは断じてない。初芝的世界においては、初芝の守備のあり方ひとつがすでに完成された構造を具えているからだ。現代美術を理解できるようになるには相当な研鑽を積まねばならないのとほぼ同じ意味で、初芝を理解しようとすることそのものが、非日常的で神聖な哲学、つまり神学を志すことにほかならない。


 返す返すパリーグファンとして心残りなのは、あまりにも初芝の初芝たる能力が高すぎて、いまのロッテに初芝の跡を襲うべき人材が見当たらず枯渇しているようにみえることである。この根源的な初芝力の欠如は、パリーグのあり方に深く影響を与えずにはおかないだろうし、佐藤健一から園川、初芝、堀らへと脈々と受け継がれてきたロッテのロッテたる所以を根底から喪失する懸念さえ抱かれるのである。いや、ロッテに限ったことではない。稀代の名選手にしてバリバリのパリーガーであった初芝の勇退は、潔いがゆえに、かえってその存在の大きさを、かけがえなさを、私に感じさせてならないのである。