帰国子女が嫌いとか、駄目とか言っているのではなく、彼らの主義主張が間違っているというわけでもない。

 でも、SFC初代もさることながら、大卒の帰国子女が外資系に入ってジョブホップを繰り返しながら30代半ばで業界そのままマネージャーになっている場合もあって、扱いに困るという。しかも、こちらが客だったりする。無理を言っているわけではないのに、こちらの要求に対して何か正論を言われて、そうですかねといって引き下がることがあり、後から「なぜ客であるところのこの私が、担当に遠慮して要求を取り下げているのだろう」と思い返す。で、後日またそういう要求を投げると「先日やめたと仰ったじゃないですか」とか言われて今度は腹立たしいという。
 最近だと、彼らが起業してて決算説明会とかやってて話を聞きに逝くと数字の分析とかそういうのもありつつ、全体として「いまはこうだが、将来ビジョンはこうであります」という、七つの習慣みたいな将来ビジョンを説明することに時間をかける傾向があって。いや、私は結果である数字と、それに対する前年度の経緯を聞きたいのだ。だって、赤字だったらいろいろ落とさなきゃならないだろ。お前の数年後なんていまはどうだっていいんだよ。そう思うわけである。

 私の周辺にいた人達だけかもしれないけど、議論好きでね… これはこうしよう、と組織で意思決定していることに対して、平気で反論してきたりする。もちろん、そういう議論は歓迎だ、とは言うけれども、機関決定しているものについて、現場にいる社員が現場の知見だけで全否定しようと喰ってかかるのがいる。まあ、クビにしちゃったけどねえ。

 英語力の問題もあるかもしれない。私は英語は当然ネイティブではないので、読み書きは大変得意だが議論になると言葉に良く詰まる。がんがん言われると、逆に非ネイティブの切り札「私はネイティブではない」を駆使して逆質問したり言語優位性を使って煙に巻こうとしているのかとか定番の逆襲をするのだが、日本語でわーわー言われたときは正直面倒くさい。

 ここのところ気づいたのだが、そういう議論をするにあたって、理路整然と、因果関係を含めて議論を通じて納得を引き出すことよりも、彼らは立場を超えて主義主張をしている状況を周囲に認めてもらうことが重視されているのではないかと思い当たった。相手が客だったり、株主だったり、上司だったりするけど、何でそんなことで議論してんだろ、と思い返すと、周りに人がいるんだよねえ。

 だから、最近は「私は上司の立場で話している」ことと「君の立場で分からないことを知っている私が判断している」と前置きをすることにした。あんま好きなマネジメント手法じゃないんだけどさ… まあ、多少は好転したので。

 要するに、私はあんま部下に強制するタイプじゃないので舐められていたってことなのかなと。そういうつもりはお互いにないのかもしれないが、緊張感がなかったのではないかと反省。