道義的に良くないと思うんだ。それに、豚インフルエンザが流行したら、結構な割合で若者が死んでしまうようだしね。

http://anond.hatelabo.jp/20090428060649
応答 → http://anond.hatelabo.jp/20090428074836
爺が反応 → http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090428/1240879187
 爺婆が死ねば非生産の人口が減って、経済的にもいいし、エコだろ、とか言っては駄目だよね。彼らが死蔵したタンス預金を接収する法律を作れ、なんて、ナンセンスというか人としてどうだろ、という話であって。

 この手の議論と核武装って似てるなあ。タブーな感じで。万一、諸条件が揃えば核武装するのが国益だ、と誰もが一度は通る思考経路なんだが、どうやって維持すんだとか、どこで実験すんだとか、核を持ってないからこそ日本の独自の外交的立場がとか、そういう修正が次々入って、核武装は考えなくなる。で、後から「日本も核武装しようぜww」とかいう若者が出たとき、昔は私もそう思った、という、青く甘酸っぱい思考経験から、「坊や。それは駄目なんだよ」と説得するというより諭したくなる。

 同じく、「ヒャッハー。パンデミックだぜ。この世の汚えものが一掃される絶好の機会だ! 社会よ混乱しろ!」とか思っている奴が、「ひょっとして、社会の癌になってる爺婆が死ねば、年金も軽くなるし医療費も削減されるし二酸化炭素も出ないし問題解決じゃね?」とか短絡的に考えて「老人だけインフルエンザに罹って死ねばいいんだ!」みたいな発想に繋がる。誰もやりたがらない老人介護も税金、年金もそのうち税金に一本化、それらの税金を支えるのは現役の世代、とはいえ現役が声を張り上げたところで困ってる老人はだいたい誰かの親であって、その親を子が支える構造には変わりはないのだから、結局家族の負担になって大変だ、という。

 だから、誰も悪くない疫病が老人問題を取り去ってくれるんだ、と考えるのは、まあ誰もが通る道でもあるんだろうけどさ。爺の指摘どおり、老人だけ死んでくれる魔法のような疫病なんて存在しないんだけどね。

 そのうち、「ああ。中国でインフルエンザ大流行しないかな」とか思う奴が出てくるかもしれないけど、そういうのは心の中だけに止めておいて外で話しちゃ駄目だと思うぞ。約束な。