さっきも会社のトイレで踏ん張りながら思っていたのだが、シャワートイレってのはどうなんだろう。シャーって強く肛門に水流を当てたほうがいいのか、柔らかくすすぐ程度がいいのか、どっちがいいんだ。
 分からんのは、まずクソし終わったあとに軽く拭くじゃん。そんとき、もう紙を持つ手にも浸透しそうなぐらいケツにクソがついてて、明らかに肛門とその周辺が汚染地帯になってることってあるじゃん。何度か拭いてみて、でもこのままトランクス履くと絶対電車の中とかでうんこ拭き切れなかった感を味わうことになるな、って頃合でシャワートイレを使って洗浄。その後、仕上げに紙で拭いてみて、うんこがケツについてないとかいって、そのうんこはどこに消えてしまったの。洗い流されて便器の中に逝ったんだ、もう彼らとは逢えないんだって解釈するのは可能だけど、肛門に当たった水流が、獲物だけ携えて跳ね返って便器の中に落ちるなんて考えづらい。絶対、ケツのほっぺたとかそういうところを経由して便器の中に着水しているはずなんだ。ということは、汚染物質は肛門からこそ除去されたとしても、ケツのほっぺたなど水流が伝った先をさらに汚染を拡大させながら流出しているんだという解釈も成り立つはずなんだよね。じゃあ念を入れてケツのほっぺたも拭けばいいじゃないかと思うのだが、たまにちんこの袋の裏側とか微妙なところに飛ぶ水しぶき、ああいうのも問題のアウトブレイク先として拭かなければ不公平なんじゃないかとも感じてならない。

 でも、その後うちの社員とかと話をしてると、クソひり出したケツを軽拭きもせずにいきなりウォシュレットするという意見が大半で驚愕した。お前らのケツはどういう汚染状況になっているんだバカタレ。シャワートイレでケツ洗う前に前工程ぐらいは必要なんじゃないの。社員の中にはシャワートイレは絶対しないという剛の者までいてカオス過ぎる。洗うべきだって。綺麗に洗うべきだって。うんこつけたまま仕事とか移動とか信じられない。風呂入ったとき洗えばいいじゃないですか、なんて悠長なことをいっている間ずっとケツは汚染されてるわけだろ。風呂に入るまでの快適さの問題なんだ。それまで汚いケツのまま飯喰ったり打ち合わせしたり、どういう神経しているのか私には理解できない。内閣改造とか日経全面安とか論じる以前の、人間としての在り方の問題だ。このままでは企業のコンプライアンスが守られ得ない。日本はどうなってしまうのか。