俗に、目立つ動きをする大道芸人と、大道芸人に釣られて一挙手一投足に喜んだり喚いたりオーバーアクションをする取り巻きと、その取り巻かれている人々ごと大道芸を楽しむさらに外野とで完成する構図というものがある。別に誰かが偉いとか良いとか悪いとかではなく、そういう現象が相似形で起き易いのだろう、この世の中は。
 例えば、googleという急成長企業があって、そのgoogleの成長をネタにいろんな角度で解釈を吹聴する梅田望夫氏(大道芸人)がおり、そこに一部の物好きなはてブ民(取り巻き)が発生し、その外野に読者がいる。

 同じように、iPhoneという新しい概念をケータイの世界に持ち込む試みがあって、それに便乗する形でヨイショしている書き手が登場し、歯が浮き上がり、凄い勢いで大気圏突破している読み物がある。

iPhoneという奇跡
http://japan.cnet.com/blog/kenn/2008/07/13/entry_27012223/

 どのくらい大気圏を突破しているかというと、つぎのあまり冷静ではない一文からも読み解けるだろう。

>「電話」の登場と「インターネット」の登場では、どちらが後世、たとえば100年後に大きな歴史的事件として記憶されるでしょうか?
>おそらく、いや間違いなく、「インターネット」でしょう。

 いや、電話がなかったらインターネットなんか存在してないから。テクノロジーツリーってのがあるんだよ。 でも江島健太郎氏がなぜ大道芸として成立しているかというと、意見が特異だからではなく、熱いからであって、そこには取り巻きができるのも当然と言える。文章として熱くて面白いもの。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://japan.cnet.com/blog/kenn/2008/07/13/entry_27012223/

 少なくとも現段階では好意的、批判的、あとで読む、驚き男、など600弱のブクマがつき、釣られている。だが、さらにそれを外部から見るとき、この江島氏の熱さをどう受け止めるべきなのだろう。

 腹が減ったのでここまでとする。