Mixiもいい加減ツラいがTwitterは本格的にツラい。何がツラいって、Twitterが更新されてるときはだいたいにおいてパソコンの前にいるときだ。パソコンの前にいるならうちの仕事を先にやってくださいよというような催促が来る。書類やメールの返事や入稿を忘れてブログを書いても「あれは予め書いてあったものをアップしただけなんですよハッハッハ」という言い訳も立つが、Twitterだけはどうしようもない。Mixiであれば「ケータイで移動中に見てたんですよハッハッハ」という言い逃れも可能だが、Twitterはケータイでやらないものだというイメージがあるらしく、電話がかかってくる。
 つーか、私たち繋がりすぎなんじゃね。メッセが苦痛に思ったときは、メッセを立ち上げたとき一斉にコールがかかるからだし、ICQはメール以上にショートメッセージみたいなのがたくさん溜まってて全米が泣いた。


 いつかこの過剰なコミュニケーションについて反動が来ることを期待してる。自分のために使う時間が義務的・儀礼的コミュニケーションに全部費やされて猫の世話も満足にできなくなりそうだ。そもそも、メール自体が過剰なんだ。便利なんだが、メールを貰ったからには返答をしなければならない暗黙の要求をひしひしと感じる。忙しいとか忙しくないとかじゃなくて、返答しづらいものや回答に時間がかかるものもメールで平気で送ってくる人がいるから困る。「自殺します。いままでありがとうございました」とか送られて心穏やかでいられる人などいないだろう。


 人間なんて個というものはなく、すべては過去や現在社会との関係性(人と人の絆とかそういうの)であるに過ぎないと割り切って、この虚無のなかの生をささやかに暮らそうとしても、気づいてみれば脱構築の無間地獄。ヤン議長も「神はいないと証明されたわけではない。だから神はいるのだ」という精神を批判しておられます。


 便利だからっていい気になりすぎだ。なんか個がネットを通じて社会に溶けていってしまう気がする。