もともとは、日本の国際競争力が徐々に低下してきたというマクロな状況が、日常に分かりやすくミクロに置き換えたとき、現象として派遣労働者や季節労働者、移民系労働者の増加という形で現れたと思うんだ。


 小泉改革路線がいいとか悪いとかではなくて、上場大手企業は世界の企業と競争するにあたって、少ない正社員で多くの労働力をまわすための処置としてリストラ先のクリスタル、付加価値の低い労働者供給元としてグッドウィルやフルキャストなどを使ってきたと言える。


 企業はその努力の先を経費削減に充てる以上、生産性の低い個人を雇いたくない。可能なら、教育にかけるコストも削りたい。社会保険だって可能なら出したくない。40歳を過ぎて、能力のピークを超え、用意したポストに座れそうもない社員は、早く肩を叩きたい。「在庫を持ちたくないし、流通も一本化したい」という仕組みによる企業努力だけではなくて、一人の雇用で多くの成果を出すためには、安価な労働者が必要なのは事実だ。


 社会全体としても、生まれてくる日本人の数が少ないのだから、その少ない若い日本人をウェイターや工場労働者など、付加価値の少ない仕事に従事させたくない。だから、その隙間を埋めるように、不法滞在の外国人を押し込んだりする。


 不法滞在の外国人をそのまま労働者として使うと問題を起こしたとき企業イメージに傷がつくし、収集がつかない問題を起こすかもしれないと企業は考える。そのラベルとして、安全弁の役割を持つ労働者の派遣会社を作ったとしたらどうだろう。


 同じように、使い物にならない中高年正社員を整理する目的で、それを専門とする外部の企業と合弁会社を作り、そこに転籍させるやり方で実質的に賃下げ・解雇するという仕事が中核になっている企業が年間一兆円も売り上げていたらどうだろう。


 一個一個の事例を見ると、人間として同情というか悲痛な気持ちに沈むような事態が横行しているが、少し視野を広げて大枠で見てみると、実に冷徹な、それでいてシンプルな経済原理によって物事が動いていることに気づく。私たちの社会は合理性から見て常に歪んでいるのであり、その歪んでいるものに気づき、問題に直面している企業は「モラルに反するため」直接手を触れたがらない。


 だから、多少割高でもそのような「モラルに反する」仕事を専門に行う人たちに一定の社会的認知を与えて、集中的に社会にあるその問題を解決させようとする。ある企業には上場企業としての信用を与え、ある個人には紺綬褒章が授与される。


 ただし、問題が一定の解決をして、当面の社会的課題がクリアされると、このような仕事に従事した人たちはお役御免となる。はっきり言うと用済みとなって、モラルに反する仕事を行って得た分不相応な財産を築いた引き摺り下ろすべき対象となる。そして、もともとモラルに反する活動に従事してつゆとも悪いと思わず、俺は才能があると勘違いをしてしまっている彼らにとっては、叩いて出ない埃などない。


 転機はいきなり訪れる。何事か発生して、突然バッシングが始まる。平常時なら取り立てて問題にならないネタも、きっちりと別の社会問題とリンクされて報じられる。嵌められたと思ってももう遅いわけだ。モラルに反する仕事に従事する限り、必ず暴力団との関わりは何らか存在する。一度転がり落ち始めると、かつて勉強会で同席した政治家も役人も株屋も弁護士もダークサイドに落ちたくないと関係を避け始める。


 そうなると、もう終わりである。本当に、終わりである。東証一部に上場していようが、子会社をいくつか他の市場で公開させていようが、与党野党の若手と日本経済の将来を語り合いいくらかのお金を彼らに包んでいようが、用済みは用済みなのだ。


 しかも、困ったことにこの用済みの烙印というのは、誰かが責任もって捺したものではない。誰の責任か、と問われても、誰のせいでもない実に微妙な空気のようなものがその人の運命を決めている。消費者金融業界であれ、このあと控えるパチンコ・パチスロ業界であれ、新興市場に関連する人々であれ、導火線に火がついてしまったからには誰かが飛ばなければならない。


 号砲は、株価の下落である。いままでにこやかに対応してくれていた暴力団も、もう金を貢げなくなったと見切ればいつでも当局やマスコミにリークして最後の一儲けを企む。驚くような輝かしい経済人が標的になるかもしれないし、自らその命を絶とうとするかもしれない。個人投資家も大手企業も暴力団もみな収益を上げられた幸せな時代は去りつつある。短期的には、いつか見た、あの90年代に戻るんだろう。


 でも、そういう時代を一度経験して、寒い冬が当たり前だと思って暮らしていれば、それほど大きな痛手は蒙らなくてすむだろう。耐えていれば、いつか春は来るし、知恵を出せば少しは暖かく暮らすことができる。そう思って生きていく以外、実はこの世に救いなどないのかもしれない。