「お前が言うな」と言われるのを覚悟&禁止したうえで、感想だけ書こう。長くなると感情論になりそうなので何だが。
ケータイ小説を理解できない人間は既に老害化しているという衝撃の事実
http://d.hatena.ne.jp/aerodynamik/20071108/p1
確かに、既存のブンガクからケータイ小説を読むと「はぁ?」という話になるようだが、ひとつの市場としてケータイ小説が若い男女に流行して、それ専用の商売が成立しているという現象は認める。
一方で、ケータイ小説を理解できないと老害であり、変化に対応できていないクズ野郎であっていますぐ泉下の人となるべき生きた化石かというと「まだ分からない」。
ぶっちゃけ、フラフープが流行して、あれこそ老若男女こぞってやりまくって「21世紀はフラフープの時代」とか「ちょっとした娯楽としてフラフープを一人一本常備」というような流れになったかと言われると結果論としてNOだったと同じことになる可能性はあるよね、という流れが表面。
ビリヤードやスキーが流行して、若者がこぞってビリヤード場やスキー場に大挙して押し寄せ、一大市場となって盛り上がって日本の文化として定着するかと思いきや、しばらくして面倒くさくなって飽きられ極一部の趣味人が楽しむものへと回帰していって一定の市場に戻ったという流れが少し深め。
情報摂取のツールとしてケータイが登場し、ファッション的な使われ方からリテラシーの根幹として若者文化として定着、多感な十代を携帯メインで過ごし、二十代以降の勤労世代となってもPCよりケータイを主要なツールとして使用し続ける傾向が強くなって、雑誌や新聞、テレビからだけでなくPCからも離脱しようとしている流れがもっとも深いとこ。
20代はPCを使わない?
http://facta.co.jp/blog/archives/20070622000441.html
携帯から情報を摂取しようという若者がこれだけ増えて、音楽(CDなどのメディアからケータイで聴く市場が大きく進捗してレコード業界を直撃している)から動画、文字情報(雑誌記事のようなテキストだけでなく動画までもケータイで済ませテレビも飲み込みつつある状況)までほぼすべての情報が、ケータイというプラットフォームで済ませられる割合が増えた以上、小説だってケータイで読まれるようになるのは当然。
そういう市場が、主に十代によって成立しているからには、三十代や四十代が好むような小説とはまったく違った異質なものであるのも当たり前だ。逆にそうでなかったら驚く。そういうケータイ小説で育った世代が勤労し始めてなお、いまのケータイ小説のようなクオリティで満足するかどうか(世代をまたぐか)を見届けない限り、ケータイ小説に理解のない人が老害であるかどうかは何とも言えない。女子中学生の間での流行で終わり、それこそフラフープのような一時的なブームで終わるのか、それともさらに表現系が強化された素材を携帯などの情報端末で一生楽しむようになるリテラシーそのものの構造的変化に直結するのかは結論を出そうにも無理だろうという話である。
個人的には、ヲタ向けの萌えが記号化され、構造化されて、ヲタだったらこれを喜ぶだろうと判で捺したようなエロでも何でもヲタが殺到するのと、航空力学が鋭く指摘するような「小学生が書いたかのように稚拙な文章。ただ泣かせる為だけに考えうるだけの不幸を並べ立てた不感症のような展開。どの本もセックスとレイプと病死が判で押したように繰り返される構造」というのは相似形に見える。
ケータイ小説を(笑)つきで馬鹿にするのもネットを主戦場にするヲタばかりだ。同属嫌悪とも言える。でも、どちらも市場を形成しているのだから、それこそBURSTとか読んでるヤンキーとかと同じくイケスのなかの魚が隣のイケスの水はマズいと酷評しあってるのと大差ないように思う。奴らもネットやってアニメ観てるヲタはキモいし近寄りたくないと思っているはずであるから。
少数民族である洋ゲーヲタとして私が敢えて言うなら「老害ではない。詳しくもない世界の行く末など見通せない。ケータイ小説がどうであるか、評価すらできない。ただ、それは種族が違うからにすぎない」ということになるのだが。
ケータイ小説を理解できない人間は既に老害化しているという衝撃の事実
http://d.hatena.ne.jp/aerodynamik/20071108/p1
確かに、既存のブンガクからケータイ小説を読むと「はぁ?」という話になるようだが、ひとつの市場としてケータイ小説が若い男女に流行して、それ専用の商売が成立しているという現象は認める。
一方で、ケータイ小説を理解できないと老害であり、変化に対応できていないクズ野郎であっていますぐ泉下の人となるべき生きた化石かというと「まだ分からない」。
ぶっちゃけ、フラフープが流行して、あれこそ老若男女こぞってやりまくって「21世紀はフラフープの時代」とか「ちょっとした娯楽としてフラフープを一人一本常備」というような流れになったかと言われると結果論としてNOだったと同じことになる可能性はあるよね、という流れが表面。
ビリヤードやスキーが流行して、若者がこぞってビリヤード場やスキー場に大挙して押し寄せ、一大市場となって盛り上がって日本の文化として定着するかと思いきや、しばらくして面倒くさくなって飽きられ極一部の趣味人が楽しむものへと回帰していって一定の市場に戻ったという流れが少し深め。
情報摂取のツールとしてケータイが登場し、ファッション的な使われ方からリテラシーの根幹として若者文化として定着、多感な十代を携帯メインで過ごし、二十代以降の勤労世代となってもPCよりケータイを主要なツールとして使用し続ける傾向が強くなって、雑誌や新聞、テレビからだけでなくPCからも離脱しようとしている流れがもっとも深いとこ。
20代はPCを使わない?
http://facta.co.jp/blog/archives/20070622000441.html
携帯から情報を摂取しようという若者がこれだけ増えて、音楽(CDなどのメディアからケータイで聴く市場が大きく進捗してレコード業界を直撃している)から動画、文字情報(雑誌記事のようなテキストだけでなく動画までもケータイで済ませテレビも飲み込みつつある状況)までほぼすべての情報が、ケータイというプラットフォームで済ませられる割合が増えた以上、小説だってケータイで読まれるようになるのは当然。
そういう市場が、主に十代によって成立しているからには、三十代や四十代が好むような小説とはまったく違った異質なものであるのも当たり前だ。逆にそうでなかったら驚く。そういうケータイ小説で育った世代が勤労し始めてなお、いまのケータイ小説のようなクオリティで満足するかどうか(世代をまたぐか)を見届けない限り、ケータイ小説に理解のない人が老害であるかどうかは何とも言えない。女子中学生の間での流行で終わり、それこそフラフープのような一時的なブームで終わるのか、それともさらに表現系が強化された素材を携帯などの情報端末で一生楽しむようになるリテラシーそのものの構造的変化に直結するのかは結論を出そうにも無理だろうという話である。
個人的には、ヲタ向けの萌えが記号化され、構造化されて、ヲタだったらこれを喜ぶだろうと判で捺したようなエロでも何でもヲタが殺到するのと、航空力学が鋭く指摘するような「小学生が書いたかのように稚拙な文章。ただ泣かせる為だけに考えうるだけの不幸を並べ立てた不感症のような展開。どの本もセックスとレイプと病死が判で押したように繰り返される構造」というのは相似形に見える。
ケータイ小説を(笑)つきで馬鹿にするのもネットを主戦場にするヲタばかりだ。同属嫌悪とも言える。でも、どちらも市場を形成しているのだから、それこそBURSTとか読んでるヤンキーとかと同じくイケスのなかの魚が隣のイケスの水はマズいと酷評しあってるのと大差ないように思う。奴らもネットやってアニメ観てるヲタはキモいし近寄りたくないと思っているはずであるから。
少数民族である洋ゲーヲタとして私が敢えて言うなら「老害ではない。詳しくもない世界の行く末など見通せない。ケータイ小説がどうであるか、評価すらできない。ただ、それは種族が違うからにすぎない」ということになるのだが。