あー、亡くなられましたか。お疲れ様でした。


 不良債権問題で失われた十年をやっちまった戦犯として、あるいは、55年体制からポスト55年にいたる時代の節目の政権を担った宰相として、金丸氏と竹下氏の狭間で棚ぼたの首相就任、そして日本新党ブームみたいな、次の出し物の呼び水的ポジションであることは間違いなく。


 やはり個人的には「不良債権問題を処理するためには政府が財務面で緊急出動して早期に処理しなければならない」というセオリーを知っていながら、右顧左眄首鼠両端の挙句、指導力を発揮できないうちに問題を大きくしてしまったなあという印象が強い。回顧録でもたびたび出てくるネタではあるけれども、彼は周囲を馬鹿にし軽視したが彼の状況を打開するにはそういう人たちに頼らなければならないことに最後まで気づかなかったのだなあという。


 政治家人生の最後まで、経済運営における政府ができることなどそれほど多くはないことに気づかず、むしろ政治は万能なのだと強く思っていた節があって、辞めてからいまさら”矢沢”にされて迷惑したとか言っちゃうあたりが凄いな。


 いろんな評価はあるだろうけれども、高度成長から戦後の終わりへギアシフト「できなかった」群像の一人が宮沢喜一氏だったろうと思うし、いろいろあの世代にいた問題児のなかでも象徴にされるほどの強烈な存在でもなく、むしろ路傍にあったほうがこの人はひょっとして幸せだったのではないかなと感じてしまうほど政治家としては平凡な結果しか残せなかった人だった。


 まあ、いろんな意味で「先に地獄で待っていろ」という台詞を皆から頂戴する人生かも知れないな。