何を言おうとしたんだっけ。
 人様が書いたネタをひとつ。


http://d.hatena.ne.jp/essa/20070618/p1


 この男が書いていることはいつもおもしれー。優秀。軸がぶれないので読んでいて定点観測に役立つ。アレントかよ。昨日来日1号打ったぞ。別人だって。catfrog曰く早漏。早漏はいいことだ。ネットでは。


 何を書こうとしたんだっけ。早漏じゃなくて。忘れた。もういいや。


 別の話。今日もサイトが落ちているbewaad氏の話。サイト呼び出しっぱなしやがな。
 これね。このエントリー。


http://bewaad.com/2007/06/17/171/


 いやー、名指しでエントリー書かれたはいいんだけど、仔細さっぱり分からね。勉強しなきゃなあと思いつつ社会保障論は大学時代は可(C評価)だったのを思い出した。私は公的負担で福祉って基本的に嫌いなんだよ。生活保護? 何それ? って価値観。で、授業のディスカッションか何かで、重大な事故でもあってその人が働いて暮らしていけなくなったら社会はどう責任を取るのかとか左翼学生に突っ込まれて逆キレする塾生だった私。重大な事故起こすなバカタレ。


 だからニフティ時代は「老人は死ね」とか「安楽死に法整備を」とかFNETDで書き散らかしていたのを思い出した。時代が時代ならリアルなネット右翼として指差される始末であることは間違いない。だって福祉嫌いなんだもん。働かない奴が悪い。ずっとそういう価値観だったから30歳過ぎてみて立派な保守主義者になりました。


 何の話だっけ。そう、老人福祉の話。生産性のない老人に蓄えがなかったら、みじめな老後を暮らすことになる、それが嫌ならしっかり貯蓄しろという考え方なんだが、自分の飯は自分で稼ぐという考え方がない人がいるのが学生当時は不思議だった。近代国家が国民の豊かな老後を制度的に守れないのなら何のための税金なのか、とかいった議論。でもさ、それって全部税金だろ。税金払うの、誰なんだよ。


 所得移転のことを知るほどに、私は保守主義者かつ現実主義者になった。トマスクーンの本読んで、思考の枠組みについて知り、ホッブズやジョンロックを読んで全体のパイが広がらない際の万人の万人に対する闘争を知りパイが広がっているときの社会秩序を知って、結局、しっかりとした経済効率の上昇が背景にあっての経済成長がなければ人間社会は豊かにならねえじゃんかということを体感した。理詰めで理解したわけではない、というのが大事だ。良くわかんねえんだもん。


 だから、実は梅田望夫ばんざいである。あいつは偉い。パラノイアだけが生き残る、ってのが座右の銘ってのがいい。あれは良く考え抜いた西海岸思想伝道師だと思う。普通にブラウン大学とかデューク大学の奴とかが梅田言説に出会ったら、何でイエローが西部開拓のリバータリアン思想に染まってるんだって話になるだろう。


 思い返せば、梅田望夫と佐々木俊尚は絶妙なタイミングでそれっぽいことを日本社会に投げ込んだ。それより時期的に前だと井上俊之になってしまうし、もっと知能が低いとKNN神田某になってしまう。そこしかないタイミングで、論壇や時評の世界にグーグルショックを紹介できたという点で、しばらく喰える。本人たちがその程度のステイタスでよしとするかどうかは知らないが。ただ、梅田本にせよ佐々木本にせよ、やはり完成度が高い。うっかり寝不足で読むと背後関係も知らずにそのまま信じてしまいそうな勢いだ。


 梅田信者が梅田本人の意向無視して、好きなことをやるのが望ましいなんて話を鵜呑みにする弊害はあるかもしれない。スキルが伴わない奴が好きなことに熱中するのはただの馬鹿であって、スキルが高くてもそれが商品価値を持たないと飯が喰えない。ブスが舞台芸能に興味を持って、舞台芸能のトレーニングをアホほど積んでもブスなので喰えないだろうという話である。技術者が、特定のスキルを大量かつ高度に身につけたところでそれを金に換えられる文系が仕切らないことには上場もできない。そもそもはてなが何とかシステムとかいってやって、利益が出ているとして、あれは内部監査どうするんだよ。それこそアドウェイズみたいな状態になっちゃうんじゃねーの。


 梅田であれ佐々木であれ、技術がバックボーンになった社会思想を適切な形で伝えたというのは非常に興味深い。前者はプレイヤーとして、後者はジャーナリストとして、何度か読み返しても品質が高いのは疑いようもない、だからいろんな人に影響力を与えた。その後の変な対談本で相手のレベルに合わせてしまって馬鹿を晒していたが、あれだって見え方を変えればひとつの見識ではある。話を合わせるスキルがあります、っつー。どこぞで書評頼まれて断ったけど、何だよあの模擬とかいうの。ただの電波じゃねーか。


 要するに、才能があるかどうかは環境も含めて可能性の世界なのだから、一回は試して損はないよねということである。間に受けて富士通とか日本電気とかに十年以上勤めたSEが梅田本に啓発されて好きなことだけやり始めたら身の破滅であって、一家離散であり、無理心中である。才能には旬があって、それは往々にして若いころに発露するのであるから、その時分にきちんと環境を得て試す志向を持っていたほうが開花しやすく、社会の有為であるというのは間違いない。だから大学生や高専の連中は梅田本に啓発され現実の厳しさをその身に刻み込むが良い。


 何だっけ。そう、旬の話である、何で梅田本なりドラッカー本なりが現場の連中より上層部に効く薬になりうるのかという件だ、要するに大量生産マス広告大量販売という図式は成り立たなくなったと言わないまでも利幅が薄くなって、本当の意味で知的生産が商品コストの大半を占めるようになってくると、個性を殺して組織の歯車になることで得られる利益率というか生産性が下がるんだよということを裏書したも同然だからである。


 別にこれは資生堂だろうが電通だろうがその活動がほぼ全額知的労働である企業からすると行動原理に埋め込まれていて何一つ不思議に思わない側面はあろうかと思う。特定のクライアントや特定属性の顧客を相手にする担当者ほど、その取引を維持して生産性を確保する(=売上をキープしてあわよくば上積みを狙う)活動の効率が問題になる。平たくいえば、電通がある特定の自動車屋とずっと取引していて、ではその担当者がどれだけ頑張れば売上二倍になるかというと、その自動車屋が広告宣伝費を二倍にしない限り本人の能力とは関係なく未来永劫二倍にはならねえという宿命を織り込んでいるかどうかである。所詮は市場、とぼかして言うものの、要するにその会社がパイを大きくしてくれない限りは、担当者の実績はキープオアレスであって、レスになれは怒られるし、キープしてもほかと比べてどうなのという話である。


 だから松下は偉いんだという話であって、蛍光灯でさえテレビCFを打つ会社は松下しかない。逆に言えば、知的生産なんてのはデフォルトの経済原則の中のほんの上澄み、GDPでいって1%内外の数字しか貢献しねえという話。そこから資金がだーだー出回れば外資系金融屋がM&AだIPOだMBOだと余計なことを言ってトレーディングコストをハネていくけど、それだって世界経済がキャッシュあまりじゃないかぎり出番はないわけだ。本当の知的生産ってのは、IT屋風情が思うほど経済を動かしていないし、誤解や幻想に類するものは山ほどある。だけど、いみじくも知的生産をするべくスキルを身につけた人間の自負として、考えて成果を出すことで社会がこれだけ豊かになっているんだという実感が伴える仕事に願わくば従事していたいと考えるものであって、だからこそそういう知的生産を志向する人間に対してどのような物言いをすべきか指し示した梅田望夫は偉いわけだ。


 そう考えると、一時期、それこそバブル終わって失われた十年なんつって、そのころに経済や財界をリードする言説をしてきた知識人と、梅田望夫との決定的な違いって何だろうねという話になると、梅田本人は嫌がるだろうけどイメージとしてのポジティブを前面に立てた技術志向や楽観的経済観だったりするんだろうと私は思う。
 考えてみて欲しい、警鐘を鳴らす経済人はいても、株屋に魂を売った奴以外で日本経済を明るく語り尽くした人間が90年代にいたか? 長谷川慶太郎みたいなボケ老人以外は私は思い出せない。正直、その程度のもんだ。明るく前向きに経済の方向を指し示すことができる知識人を求めていて、そこにきっちり合致したのが梅田だったり適切に解説できたのが佐々木だったりということであって、それ以前から言ってた奴は賞味期限切れであって意味がないのである。


 悲しむべきは、誰かが書いてたけど、小倉せんせだったっけな、違うか、忘れた。もういいや。


 なんだっけ。そうだ、アレだ。えーと。より優秀な奴の書き物をネットで読みたい、という文意の奴。あれである。だから、いまネットにはもっと梅田級の知識人がネット右翼にクソを投げられて汚物まみれになりながらも質の高い議論を先導しなければならない。逆に、真性引きこもりだけじゃなくて、もっと質の高いダウナー系書き手も増えなければならない。白田総統も山形浩生も小倉せんせももっとざっくばらんに考えていることを提示すべきだ。池田信夫はどうでもいいや。要するにそういうことである。


 絶対的に足りないのは、ネットの時代だとか言いながら、芸能人以外のネットの
いまだに


 (一時間経過)…とか言ってる間に電話が来た。内容はうわくだらねえ。何かどっと疲れちゃったよ。もういいや。家帰るわ。おやすみ。