私たちは制度の中で生きていて、その制度の出来によって、経済効率が上がって豊かに暮らせたり、将来のことをそれほど心配せずにいられたり、逆に矛盾や不合理のしわ寄せを喰らったり、不必要で煩雑な手続きに頭を悩ませなければならなくなったりする。


 そのうちもっとしっかり書こうと思っているけど、bewaad氏から反応を貰った。リンク貼ったらサイトが落ちやがった。再興してくださいお願いします。


http://bewaad.com/2007/06/17/171/


 自分で老後の資金を捻出できない可能性が少しでも残されているのなら、子供をきちんと儲けるなどして公的サービスに頼らずともやっていける一家にしておいたほうが良いだろうとは思う。


 個人的な問題意識としては、飢餓もなく安全平和に暮らせているのはここ数世紀のことであって… という延長線上に、いまある社会制度は人類史上稀に見る穏健な時代であることを前提に構築されすぎているような気がする、という感覚上のものである。


 内容は違えど、某所で白田せんせが叫んでいた通り、問題は昔からあるし、問題に昔から気づいていたキチガイは立派に存在するということでもある。その問題があることを認識し、周知できなければ、問題を解決することなどできない。しかも、社会の問題とはデータで出てきたころには取り返しのつかないことになっている。


http://anond.hatelabo.jp/20070617215938


 白田せんせは「既得権益」と置き換えるが、産業を保護した結果としての独占であろうと、それが社会に何がしかの貢献をし、経済効率が上がるのであればよしとする考え方もありうる。程度問題だ。だが、その程度問題でさえ、何と比べてどうなんだ、何を持ってフェアとするのか分からなければ、議論を始めることさえできない。


 梅田せんせはサバイバルという言葉にいちゃもんをつけられて、画面の向こうでげんなりしながら言い直しをしている。


http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070615/p1
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070616/p2
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070617/p1


 これもひとつの経済効率の問題だ。激しい変化に晒されている環境において、グローバルな目線でパラノイアが暮らしている状況だときっとこういう考え方が生き残るのに適切なのだろう。梅田せんせからすると「それが当たり前だ」となる。ソフト業界が家内制手工業化していくトレンドであれば梅田メソッドが抜群の特効薬なんだろうが、スキルの高さと収益性とが連動しない世界だとヤバイ。それが閉鎖社会の不合理な掟によるものなんだろうと思った。


 まあ、何につけ一番最初に問題を認識して「ここに問題あるぞ!」と旗を立てた奴が偉いってことで。「それでも地球は回っている」と呟くもよし、温泉マークみたいに一番最初に夢の世界へ送り込まれるもよし。