たぶん、ずっと仕事に逝くイコール背広、というライフスタイルだった人が、毎日がカジュアルデーとなって己の服装コーディネーションに対する自負と自信とが備わっていないことに気づき、かといって他人に「実は困ったことがありまして」と相談するわけにもいかず、結果的に無難なマニュアルとして某雑誌を選択ののち、「そうか! 第一第二ボタンを外して腕まくりすればいいんだ!」と悟りを開き、結果として雨天なのに妙なコートを着てて脱いだらいきなりチョイ悪なのである。


 別に構わないのだが、彼が転職した理由は大企業が用意した画一的なキャリア将来像に嫌気がさしたとか、そんな話だった気がする。それもmixi日記に堂々と書いてあって、みんなで「それはどうなの」と突っ込んだ。なぜなら、お前が人事担当者だったのにそれはないだろう、という。まるで辻正信である。独自色を出したいのであれば私みたいに緑を基調にするとか方法論は山ほどあるだろうに、もはや記号化されてしまったチョイ悪に逃れる根性が良く分からない。それでも本人は気に入っているようで、ブログに書いてもいいかと聞いたらおおいに書いてくれというのでここに晒す次第である。


 なんか最近は外資系企業にキャリアアップなんだか横滑りなんだか分からない転職をする人が増えていて、訪問してみるとだいたいシャツの胸元が開いているのが気になる。流行に敏感に見せる必要があり、かつ無難な方法論としてのチョイ悪の定着という図式だろうか。似合うとか似合わないとかいう次元の問題ではない。


 絶望的なのは、よせばいいのに酒の席などで某雑誌の広告を見て服装をチョイスしていると公言して憚らない人間が、新人社員教育と称して身だしなみやビジネスマナーについて二時間喋ってきたとのうのうと自慢する社会現象が現実に発生していることと、地位に見合った裁量と権限と責任を背負ってしまっている組織の不合理である。如何ともしがたい。「それはどういう意味か」と問い直す気力さえ話を聴く者から奪い去らん勢いなのだ。自己客観視という五字から基点0を軸として点対称の位置に存在する暴虐にほかならない。


 服装に凝ることに興味を持ってこなかった人が、それに迫られてモノの本を参考にし、当面必要最低限の身だしなみを整えようとする意欲や行為、あるいはその結果を否定するつもりは毛頭ない。しかし、そこに掲載されているモデルが着ているものや着こなしを本人の太った体形や頭髪状態の微妙さを抜きにしてそのまま実施し、他人がどのようにそれを評価するのかを気にせずに完璧に模倣できていると誤解して、さらにはそのように至る経緯さえも身振り手振りで解説したうえ、必要であった諸費用まで克明に語る必要がどこにあるのだと私は言いたいのである。


 そこからかみさんや娘から貰ったアクセサリでも覗かせているなら当方も好意の笑みのひとつも浮かべようものだが、問題は会合で遭遇した人間の約半数がほぼ同様のいでたちであり、並んで座られた日にはどのように対処したらよいのかすら困窮を極める。むしろ卑猥に過ぎる。したがって薄ら笑いをするしか方法がない。名刺交換をしても、頭の中にはチョイ悪四人衆としか記憶しないわけである。それならまだタキシード姿のダークダックス四人を相手にしたほうがマシだ。


 普通に無地のポロシャツでもいいから、二日酔いが見える赤ら顔で午前の会合に臨まないとか、握手をする手の爪に黒い垢を溜めないとか、そういうほうが大事なんじゃないかと思う。


 でも、確実に思うのは、外資系に転職して、生活のリズムが狂ったのか、数年しないうちにあからさまに身体を壊したり鬱になったりする人が増えたということ。そりゃギャラや権限は増えて仕事のやりがいはあるのかもしれないが、結果がすべてと言われて、器を超えて働き詰めて、倒れてしまっては意味がない。他人や流行を見て身だしなみを整えるのと同じぐらい、自分のやりたいことに気を使わないのは、結局は長続きしないってことだろうと。まあ「お前が言うな」とか言われそうだけど、健康は大事ですよ。しっかり療養して、元気に復職してください。