執 金 剛 神 立 像
高野山真言宗・総本山金剛峯寺所蔵
高野山・金剛峯寺所蔵の仏像「執金剛神立像」から
鎌倉時代を代表する仏師・快慶を示す墨書が発見された
一対の深沙大将立像(じんじゃたいしょう りゅうぞう)も
ともに快慶(生没年不詳)作とみられ 信仰上でも大きな発見
( 2011 10 21 発表 )
執金剛神立像(高さ149cm 寄せ木造り)は 髪を逆立て 片足で踏み出す姿
首部分の内側から[アン](梵字)と[阿弥陀仏]の計5文字の墨書が見つかった
この称号は 快慶が使用していたもの
快慶の墨書銘が発見された執金剛神立像
もともと 対となっている深沙大将立像(高さ142cm)と合わせ
快慶作の四天王立像(国重要文化財)とともに
高野山伽藍 六角経堂に安置されていたと伝えられてきたが
四天王立像の重文指定時(大正14年)に別の場所にあったことから
未指定だった
執金剛神 深沙大将は ともに仏法の守護神
深沙大将立像(142cm 寄せ木造り)は
首にどくろの飾り 両ひざに象の面をつけている
顔や筋肉の表現方法などから 快慶作とみられてきた
2像とも高野山霊宝館で展示されていたが
今年9月に執金剛神立像が 足の接着剤の劣化などで
台座とつながっている左足首の部分で 折れ後ろに倒れ
右ひじと左足先端の接着部が外れる損傷
数十年前に補修で使った接着剤が劣化したのが原因とみられる
文化庁が 内部の空洞にファイバースコープを入れ
内視鏡調査をしていたところ
首の内側に 快慶が用いた法号[アン(梵字)阿弥陀仏]の墨書を発見した
快慶は 初期(1192~1203)の作品に同じ墨書銘を入れており
筆跡も似ているため 快慶作と判断
像の内部には 真言密教の呪文などの文書もあった
執金剛神立像の胎内に記された快慶の墨書銘
鎌倉時代の書物に
金剛峯寺が所蔵する快慶作の四天王立像(重要文化財)と一緒に
執金剛神と深沙大王の像が高野山に安置された との記述があり
以前から快慶作の可能性が指摘されていた
執金剛神立像は 右腕や はかまの裾なども破損しており
来年度から2年かけて修理する計画で
当面は深沙大将立像を公開 執金剛神立像は 修復後に展示予定
11月6日午後3時から 同館で一般向けの発見報告を行う
「快慶の仏像は端正な姿が特徴で 力強い表現は珍しい
重要文化財級の作品で 快慶の業績を解釈する幅が広がるだろう」
(深山孝彰・愛知県美術館主任学芸員 日本彫刻史)
金 剛 峯 寺
ケータイの方 ごめんなさい 適正化していません