十 輪 院
元興寺の旧境内地に住民が住みつき発展した奈良町の南東
奈良市十輪院町・ならまちの一角に建つ
真言宗 醍醐派 雨宝山 十 輪 院
本尊 地 蔵 菩 薩
創建 (伝)弘安6年(1283) / 開基 (伝)朝野魚養、元正天皇(勅願)
文化財 = 本堂(国宝)/ 南門、石仏龕(重要文化財)
御影堂、絹本著色阿弥陀浄土図(県指定文化財)
南 門 (重要文化財)
切妻造・本瓦葺の四脚門。鎌倉時代建築
奈良時代 もとは 大寺院だった元興寺の別院とされ、
右大臣・吉備真備(きびのまきび)の長男 宿禰魚養(あさのすくねなかい)が
元正天皇の勅願で 天皇の旧殿を拝領し 創建したと伝わる。
朝野魚養は能書(書道の名人)とされ、
空海の書の師 ともいうが 伝記ははっきりしない。
鎌倉時代以降は 庶民の地蔵信仰の寺として栄えた。
正面に低く緩やかに流れる優美な屋根を持つ本堂(国宝)
背後の覆堂内に安置された石仏龕を拝むための礼堂として建立
鎌倉時代の住宅風仏堂 寄棟造、本瓦葺き。
建物全体の立ちが低く 正面は広縁の奥に蔀戸(しとみど)を設ける。
軒裏に垂木(たるき)を用いず 板軒とする点も一般の仏堂建築と異なる。
正面に広縁を設け 軒回りの蟇股(かえるまた)は美しい
床を低くした住宅風の建築様式は
平安時代中期の貴族の邸宅を思わせる優美な仏堂である。
せ き ぶ つ が ん
石仏龕は間口2.68m 奥行2.45m 高さ2.42m 花崗岩製の厨子
正面奥の中央に 本尊の地蔵菩薩像
その左右に釈迦如来像と弥勒菩薩僧が浮き彫りされている。
回りには四天王や仁王 十王 不動明 聖観音の各像や
五輪塔 梵字などが数多く刻まれ 極楽浄土を願う地蔵世界を具現化。
龕の上部左右には北斗七星 九曜 十二宮 二十八宿の星座を梵字で陰刻し
天災消除 息災延命を願う 現世利益の信仰もみられる。
本尊の前には死者の亡き骸や棺を安置する引導石が置かれている。
南都仏教の教義をもとにした民間信仰の影響を受けて作られた。
朝野宿禰魚養は、吉備真備が遣唐使として唐に滞在中
中国女性との間に生まれた子
日本の父親に会わせるため母親が海に流したところ、
魚に乗って難波の津にたどり着いたとの伝説を持った人物。
奈良時代の名筆家 大般若経を納め 魚養塚が境内にある。
御 影 堂(県指定文化財) - 慶安3年(1650)の建築
護 摩 堂
遷都1300記念協賛 特別開帳日程 10月10日~11月14日
毎月8のつく日だけ開扉される護摩堂が特別に公開される。
内陣の重文の不動明王と二人の童子像が拝観できる。
(月曜は閉門日のため、拝観は休み)
東京国立博物館構内にある「旧十輪院宝蔵」 (重要文化財)は、
もとこの寺にあり、明治15年(1882)に東京へ移築された。
小規模な校倉造倉庫で、鎌倉時代の建築である。
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優雅なたたずまいの本堂と 四季を通じて花に彩られた美しい寺
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