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(えん)    (しょう)    ()

 圓照寺21

奈良市内を走る路線バス停 圓照寺前に到着。
今回のツアーで 主目的の寺院。
一般には開放されていない。奈良市で唯一拝観ができない寺。
近鉄奈良駅から路線バスでも20分余。でも拝観不可。
近くて遠いお寺。遠い遠い果てしなく遠い。それが圓照寺。
「拝観不可」を頑なに貫かれている。
早春のこの時期に、数回だけ実施されるバスツアーでしか
一般に公開されないという、とても貴重な機会である。

 圓照寺22

バスが止まると、ガイドのアナウンス
「ここでは、圓照寺さんが仰ることに 充分に従ってください。
特に、境内やお庭を歩く時は、敷いてある飛び石の上だけです。
皆さんに粗相があったら、もう来年のこのツアーはありません。」
と 厳しい厳しい注意があった。

このツアー客だけに、しかも年4~5回(計約200名ほど)の訪問者にだけに
特別に公開してもらっているので、機嫌を損ねたらもう次はない。
バス会社も神経を尖らせ、40名の参加者にバスガイドを2名も付ける厳戒態勢。


バスのドアが開き、降車が始まる。
隣席の才女、素早く立ち上がり体制を整え降車した。
あの勢いを、「奔馬」の如く と云うのだろう。

 圓照寺23
二本の石柱を立てただけの門(春の雪・本文)

道路脇の道、寺の関係者と地元民以外は通れない長い砂利道を進む。
途中に、歌碑がいくつかあり、黒木門にたどり着く。

万葉集に「幸行山村之時 歌二首」があって、境内に歌碑が立つ

 圓照寺24
あしひきの山行きしかば山人の われに得しめし 山つとぞ此れ
( 万葉集巻20 4293 元正天皇 )

 圓照寺25
あしひきの山に行きけむ山人の 心も知らず 山人や誰れ
( 万葉集巻20 4294 舎人親王 )


 円照寺8

黒木門の手前 右の道を行くと、厳しい圓照寺の裏山になり、
5つの円墳の五つ塚古墳 舎人親王の墓と伝えられる方形墳の黄金塚や
飛鳥時代の山村廃寺跡などがあり、正暦寺につづくハイキング道である

道のべの羊歯(しだ)、藪柑子(やぶこうじ)の赤い実、風にさやぐ松の葉末、
幹は青く照りながら葉は黄ばんだ竹林、夥しい芒、~(春の雪・本文)


歴代の数多くの皇室関係者が歩かれ、三島由紀夫が訪ね
綾倉聡子が母親と一緒に俥で通り、松枝清顕がそれを追いかけて、
二度の来訪も月修寺門跡に会えた本多繁邦も、それぞれが歩いた道。
竹内結子・妻夫木聡・若尾綾子・宮崎美子ら映画「春の雪」一行が足跡を残した道
今 そこを ツアーのわれわれが、厳粛な気持ちで 歩いている。 

 圓照寺26

 圓照寺27

本来ならば、ここより先は拝観不可。
しかし、ここからの眺めだけでも、清々しい空気や
凛とした佇まいが感じられる。
来てよかったと思いつゝ引き返すしかないが、
誰しもが一度は中を訪ねてみたいと思うのではないだろうか。

 圓照寺28

 圓照寺29
車寄せの陸舟松

ここで、またバスガイドから 注意事項が復唱された。
2人のバスガイドも ピリピリしている。
「敷石から足を踏み出さずに!」

 圓照寺30
黄ばんだ小砂利に、四角い敷石が市松つなぎに内玄関まで敷かれてある。
ひとつひとつこれを数えて、九十に達したとき、ひたと閉め切った障子に、
菊と雲の紋様の白い切紙細工の引手のある、内玄関・・・・・(天人五衰・本文)



門から本堂に向かう参道 
一列になって、緊張が高まる中 踏み石の上を一歩一歩進む。

 圓照寺31

 圓照寺32


 圓照寺33
左・唐破風の玄関 書院 / 右・茅葺の本殿(圓通殿) 5本線の築地塀

 圓照寺34
つらなる敷石の奥に玄関の見える平唐門(ひらからもん)

斑鳩 中宮寺、佐保路 法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院、
歴史的には一番新しいのに 格式は一番高い圓照寺。
代々皇族から門跡が出て 天皇家に一番近しいから?

 圓照寺35

 圓照寺36

 圓照寺37

本殿(圓通殿)に上がらせていただき、案内人の到着を待つ。
今回案内していただくのは「執事」という男性。
興福院の庵住、正暦寺の住職に比べ 声も聞き取りにくい。

 圓照寺38

安置されている如意輪観音像の前でお話を聞く。
( つづく )