昆  陽  寺
( こ や でら )

 昆陽寺1
高野山真言宗  崑崙山 昆 陽 寺
本尊 薬師如来

 昆陽寺2
昆 陽 寺 山 門
朱塗りの2層の山門は江戸時代初期 明暦年間(1655~58)の建立、
2層の周囲に縁をめぐらし、江戸時代の手法を よく伝える。
細部に施された絵様繰形(えようくりがた)の形式。

 昆陽寺3
本 堂 (薬師堂):行基自刻の薬師如来像が安置
阪神淡路大震災で被災、2年後に再建。瑠璃殿とも称される。

 昆陽寺4

大仏造営に協力した奈良時代の名僧・行基が建立。
今も伊丹市内の町名に行基の名が残るほど、
伊丹には深い関係と大きな足跡を残した僧と言える。

天平3年(731) 行基が貧民救済を目的とした「昆陽施院」(布施屋)を創建。
病気や貧困、孤独に苦しむ人たちを救済し、次第に寺院の形態を整える。
天平5年(733) 聖武天皇の勅願寺となって伽藍が整備され、
周辺を開墾、荘園化して発展した。
寺で神事、仏事を行い国家安泰、五穀豊穰などを祈願。
行基が大僧正になるとともに寺院の形態を整え、
徳を慕う人たちの参詣者でにぎわい、没後も隆盛。

天正7年(1579) 荒木村重の乱 織田信長の兵火ですべての堂塔を焼失
行基の徳を慕う信徒らによって山門、諸堂が再建され 現代に至るも、
阪神淡路大震災で大きな被害を受けたが、3年ほどで完全復興。

 昆陽寺5

 昆陽寺6
行 基 堂(開山堂)
自作の行基菩薩像、脇侍に 文殊、普賢両菩薩像 のほか、
四天王像を安置。 震災で崩壊、解体修理を実施。

 昆陽寺7
観 音 堂 :十一面観音を祀る。寛永年間 建立。
寄棟造向拝付本瓦葺。震災で被災、解体修理を実施。

 昆陽寺8
鎮 守 堂

行基は 潅漑(かんがい)用の池を掘ったり、
橋を架けるなどの 社会事業にも力を尽くした。
昆陽池は 猪名野一帯を開墾した田畑の潅漑用の池。
昆陽上池、昆陽下池、院前池など 5つの池を掘った。
その中心に 堂宇を建立し 昆陽寺とした。
昆陽上池が現在の昆陽池と見られる。
昔から歌や俳句にも詠まれた有名な池。  

 昆陽寺9 



 2009 09 03








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