花 山 院 菩 提 寺
( か ざん いん ぼ だい じ ) 花山院1

白雉2年(651)天竺より紫雲に乗り渡来した法道仙人が開山。
本尊は 薬師瑠璃光如来

 花山院2

 花山院3

法道仙人は役行者と並ぶ法力を持つ修験僧、
その修行の聖地として開かれた。

 花山院4

 花山院8

眼のあたりに 秀峰有馬富士を見、 南には六甲連山、
西には、播州平野から播磨灘、小豆島までを一望に収める絶景の聖地。

後に西国霊場中興の祖となる第65代花山法皇(花山天皇)は、
寛弘五年(1008)41才での崩御まで、仏道修行に励む。

 花山院7

遺体は、弟子たちがその御遺詔に従い葬る。花山院御廟所。
花山法皇(花山院)の菩提を弔う寺として花山院菩提寺を寺号に。

 花山院5

花山法皇殿には、十一面観音像、花山法皇像、弘法大師像を祀る。

 花山院6

西国三十三カ所各霊場のご詠歌すべてが花山法皇の御製である。
観音霊場巡礼信仰の礎を作った。
西国三十三観音霊場巡礼での、番号外の霊場となる。

天皇即位中に、権謀術策を受け騙されての退位、
佛眼上人との出会い、真の仏法帰依、西国三十三観音霊場を中興、
巡礼信仰の礎を作り上げた聖者として一千年以上の時を経た今も
巡礼者から尊崇を受ける存在である。

 花山院9

悲運ともいえる退位、
その帝への深き思いをもって法皇を慕い来た女官達の墓が麓にあり、
村人が手篤く守る。
法皇に思いを馳せながら女官達が琴を弾いたとされる場所に
「琴弾坂」の地名が付けられている。
麓の村はこの女官達が尼僧となって生涯を送ったゆえに、
地名を尼寺(にんじ)地区と呼ぶ。

ご詠歌に出てくる「小野」という地名の村には、
土地の豪族の美しき姫と中大兄皇子 中臣鎌足にまつわる悲話が残る。
姫の悲話を知った法皇は、供養の為に仏像を彫った事が史話として残る。

 花山院10



 2009 06 15



 花山院11








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