青  蓮  院
( しょう れん いん  )

 青蓮院1

伝教大師・最澄が、比叡山に僧侶の坊、住居として建てた青蓮坊が起源
天台宗 京都五ヶ室門跡のひとつ、格式の高い門跡寺院で皇居との関わりが深い。
天養元年(1144)第12世天台座主・行玄が 粟田山の山裾に堂宇を建立、青蓮院と称した。

 青蓮院2

平安時代末から鎌倉時代初めの第3世門主慈円のころが最も栄えた。
慈円は天台座主を4度も務め、名著「愚管抄」を残した名僧。
当時、新興宗教だった浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞にも理解を示し、
延暦寺の抑圧から庇護した心の広い僧でもあった。
天明8年(1788)御所が炎上、後桜町上皇が仮御所とした。粟田御所

 青蓮院3
宸殿 入母屋造、桟瓦葺きの、寺内で最も大きな建物。

徳川家康の孫である東福門院(後水尾天皇女御)の御所を移転。
明治26年(1893年)に焼失後復興。
宸殿は門跡寺院特有のもので、主要な法要はここで行う。
有縁の天皇及び歴代門主の御尊牌を祀る。
宸殿前に右近の橘、左近の桜を配するのは、歴代尊儀在所の意味。
親鸞聖人が第三代門主慈圓により得度をした場所、お得度の間
杉苔に覆われた宸殿の前庭は、本来白砂を敷いていた。

 青蓮院4
植髪堂  親鸞聖人の得度の折、剃髪した髪の毛を祀る。


華 頂 殿
 青蓮院5
室町時代の相阿弥の作、粟田山を借景にしてその山裾を利用した幽邃な趣の池泉回遊式。
龍心池の対岸南に高く石積みした滝口を中心として、東側にかけて柔らかな曲線を描く築山泉水庭。
華頂殿の東面には、江戸時代 小堀遠州作の「霧島の庭」がある。
 青蓮院6

 青蓮院7

小 御 所
本堂の北側に建つ入母屋造桟瓦葺き。 平安時代末は門主の居間。
後櫻町上皇が仮御所とし使用。明治に焼失。江戸中期の建物を移築。

相阿弥作の「作られた庭」に対して、東山の「自然の山麓」が左側に迫り、自然と人工の巧みな融合を見せる。

 青蓮院9


熾 盛 光 堂  本 堂
境内奥に西面して建つ方三間、宝形造の小堂。
堂内の厨子にはご本尊「熾盛光如来」の曼荼羅を安置(秘仏)
本堂の東裏には国宝の青不動画像(複製写真)を安置。
その他、不動明王木像、薬師如来及び日光月光菩薩・十二神将像、歓喜天像、毘沙門天像、愛染明王像。

 青蓮院8
豊臣秀吉の寄進 一文字手水鉢

 青蓮院10
長 屋 門
明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築。
門前に「楠」が五本。親鸞聖人御手植。
京都市の登録天然記念物指定を受ける。



 2009 05 15
熾 盛 光 如 来
しじょうこうにょらい


 青蓮院11平安仏画の最高峰 国宝・青 不 動(不動明王二童子像)
初開帳    9月18日~12月20日  
精密なデジタル複製画も製作。

青不動 (縦203cm、横148cm)
炎の形状を「火の鳥」に見立てるなど高度な表現技法を駆使。
過去3回、美術品として博物館などで公開されたが、
信仰対象として開帳するのは初めて。
期間中は 宸殿に安置
夜間拝観も実施し、境内をライトアップ

デジタル複製画は、高画素のカメラで実物を撮影後、
試作を繰り返して色調を再現し、和紙に印刷。
開帳期間終了後、本堂にまつられる。
実物の青不動をまつる大護摩堂の建立も計画中。








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