雲 龍 院
( うん りゅう いん )
泉涌寺別院 瑠璃山 雲龍院
真言宗泉涌寺派 別格本山
霊場にして、泉涌寺の写経道場として発展した塔頭
応安5年(1372) 後光厳天皇(北朝第4代)の思召しにより、
竹巌聖皐(ちくがんしょうこう)によって建立
康応元年(1389)同所に、皇子・後円融天皇により 龍華院建立
両院で如法写経が行われる。
後小松、称光の両天皇もこの寺を崇敬、
四天皇崩御の後は後山に御分骨所が営まれ、
北朝歴代の御尊牌が霊明殿に奉安されている。
応仁の兵火により焼失、
後柏原天皇より後土御門天皇使用の御殿の寄進をうけ、本堂として再建。
その後、焼失と再建を繰り返し、
江戸時代初期には雲龍、龍華の両院が合併して雲龍院となる。

庫裏へのアプローチ 鐘楼(左)
現在の諸堂は後水尾天皇(当時は既に上皇)の援助で、
寛永16年(1639)以降に再建された。
江戸時代には寺領も多く、来り学ぶ僧侶も多数にのぼり
寺運はもっとも盛んであった。
□ 霊明殿 明治2年(1869)再建
後光厳天皇をはじめ歴代天皇の尊牌をまつる。
本堂(重文)安置の本尊・薬師三尊(藥師 日光 月光)は
極めて写実的な鎌倉時代の作、
宝物 土佐光信筆 絹本着色 後円融天皇宸影(ごえんゆういんしんえい
=重要文化財)をはじめ 歴代天皇の宸筆など文書、絵画多数を所蔵。
裏山には、仁孝天皇二皇女、孝明天皇二皇女の陵墓が営まれている。

□ 客 殿

□ 庭園 徳川慶喜が奉納した灯籠

□ 庭園

□ 「悟りの窓」

□ 走り大黒天尊像 鎌倉時代の作 台所に安置されている


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