仁 和 寺
( にん な じ )
平安時代初期に国家の安泰と仏教の興隆を願って光孝天皇の勅願で
仁和2年(886)に創建に着手したが、翌年光孝天皇が亡くなり、
次帝 宇多天皇が 父帝の遺志を継いで 2年後の仁和4年(888)に完成
仁和寺と名付ける。
英邁と言われていた宇多天皇が わずか31歳で退位、信仰生活に入る。
法皇として御座所を置いたことから、御室(おむろ)御所と呼ぶ。
以後、明治維新まで約千年間、30代に亘って代々皇子 皇孫が門跡を務めた門跡寺院筆頭。
室町末期 応仁2年(1468)応仁の乱により全山全焼、堂塔伽藍はすべて焼失、江戸時代まで復興されなかった。
徳川三代将軍家光の援助を受けて寛永14年(1637)から再興にとりかかり、御所の紫宸殿を移築した金堂(国宝)や 仁王門 五重塔など30余の堂塔や塔頭寺院が 10年後の正保3年(1646)に再建された。
現在の堂塔はこの時期に再建されたものが多いが、明治20年(1887)の火災で一部の堂塔が焼失、大正3年(1914)までにそれぞれ復興。
金堂に安置されている本尊・阿弥陀如来像(国宝)は、創建当時のものと推定され、童顔の顔立ちや丸みをおびた造りは平安時代前期の特徴をよく現している。
旧御室御所を代表する建物が宸殿で、寝殿造と書院造を混合した様式。
宸殿には 白砂を敷き詰めた庭と池 滝 築山を配した明るく雅な池泉回遊式の北庭がある。
北庭の築山には 光格天皇が好んで使った茶室・飛濤(ひとう)亭(国・重文)がある。
ひときわ大きい仁王門(江戸時代 重文)を入ると広々とした境内。
左手に 御殿の入り口があり 奥に 書院 宸殿 客殿 などが建ち並ぶ。
毎年10月1-15日の期間だけ 霊宝館(薬師如来)が一般に公開される。
寺宝には 絹本着色孔雀明王像(中国南宋時代)や 阿弥陀三尊(平安初期) 宝相華蒔絵宝珠箱など数多く、いずれも国宝。

勅 使 門 を左に見て

一段高いところに 中 門

奥正面に 金 堂 (慶長16年=1611 国宝)が建つ。
皇居の紫宸殿を移したもので、屋根は瓦葺きに変えられているが、
蔀(しとみ)戸を残した紫宸殿の古い遺構で我が国唯一の貴重なもの。

観 音 堂

鐘 楼

東方に 五 重 塔 (江戸時代ー重文)があり、寺観を整えている。

丈の低い里桜(八重桜の元種) 山桜などで、丈が低いところから一名「お多福桜」とよばれる。
遅咲きで 4月中~下旬が見ごろ 京の桜の最後を飾る。
春の御室桜から秋の紅葉まで 四季折々の美しさがあり、北庭の飛濤亭付近の秋の景色は素晴らしい。
一味和合 大内山 「本尊・阿弥陀如来」 (金堂納経所) のほか
「旧御室御所」 ←菊の御紋です (御殿で)
(京都13佛)「勢至菩薩」 / (近畿36不動尊)「水掛不動尊」
(京都三弘法)「御室弘法大師」 / (毎月8日)「薬師如来」
・・・・・の ご朱印が頂ける

君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ
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