曼  殊  院
( まん しゅ いん  )

 曼殊院1
紅 葉 の 名 所

洛北屈指の名刹
三千院・青蓮院・妙法院・毘沙門堂と共に天台宗五箇室門跡の一つ
門跡というのは、皇室一門の方々が住職であったことを意味

 曼殊院2
勅 使 門
高い石段の上に西に面して立つ曼殊院の正門

 曼殊院3
両側の塀に残る五本の白い筋はその格式を今に伝える

延暦年間(728~806)、宗祖伝教大師最澄により、鎮護国家の道場として比叡の地に創建したのが始まり 
天暦年間(947~957)、是算国師のとき比叡山西塔北渓に移り、「東尾坊」と号した。
是算国師が菅原家の出生であったことから、北野天満宮が造営されると初代別当職に補され、以後明治維新まで北野別当職を歴任することになる。
寺では是算国師を曼殊院初代としている。

平安初期 天仁年間(1108~10)、八代忠尋大僧正が寺号を「曼殊院」と改め、北山に別院を建立。
明暦二年(1656)桂離宮を造営した智仁親皇の子、二十九代良尚親王が入寺、現在の地に堂宇を造営。

 曼殊院4
通 用 口  庫 裡( 玄 関 )

 曼殊院5
表玄関に 媚 竃 ( びそう) とある。
台所が 玄関 である。
食べることが生きていく基本と 親王が説く。
論語「その奥(位が上の人)に媚びんよりは、むしろ竃(かまど)に媚びよ」


曼殊院門跡庫裏から大玄関に入ると狩野永徳筆の虎の間、岸駒(かんがく)筆の孔雀の間 そして竹の間、長い廊下を進むと江戸時代初期の建築、大書院、大書院の前には、美しい枯山水の庭園が広がる。

大書院の本堂と小書院は江戸時代初期の代表的な書院建築、
柿葺きの起り屋根や違い棚などの様式が桂離宮や修学院離宮と類似。 

 曼殊院6

大書院前には遠州好みの枯山水庭園が広がり、水の流れを表した砂の中に鶴島と亀島を配す。
小書院は静かに水面をさかのぼる屋形舟を表現している。

 曼殊院7

鶴島にある樹齢400年の五葉松は鶴を表現。
根元には曼殊院型のキリシタン灯篭。
公家風で趣味豊かな良尚親王の趣向を反映。

 曼殊院8
 書院にある菊をかたどった欄間
 曼殊院9 曼殊院10
 富士の形の七宝の釘隠し
 曼殊院11
 瓢箪 襖の引き手



 2009 04 16
 竹の内御殿










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